東京の新大久保駅の周辺は、コリアンタウンとして名高い場所です。日本でいながら、ハングルが氾濫していて、街を歩くと韓国語が当たり前のように聞こえてきます。
焼肉屋や韓国人向け食材が軒を連ねる大久保駅の周辺は、もともとは、このようなエキゾチックな街ではありませんでした。明治時代は高級住宅街として、終戦後は音楽の街として知られる高級感あふれる街だったといいます。
それがどうして、外国人街に変わったのでしょう? 昔の歴史を遡りつつ、探ってみました。
大久保駅と新大久保駅の間にある町が、百人町です。コリアン・タウンは、主にこの百人町を中心に広がっています。
百人町の名前の由来は、江戸時代、伊賀(現・三重県)の鉄砲隊「伊賀組百人鉄砲隊」がここに住んでいたからです。
徳川家康は、本能寺の変の際に堺にいたため、危うく明智光秀の命をうけた暗殺部隊に殺されるところでした。それを助けたのが、伊賀者たち。その中には、忍者と呼ばれる人々が多数、含まれていました。その逃避行は「伊賀越え」として有名です。
それ以来、家康は伊賀の忍者を尊重し、江戸にまで連れてきたのでした。
彼らは江戸の警護という重要な役割を担当しており、その武家屋敷は威容を誇っておりました。
武家屋敷としては、とても面白い形をしていたといいます。道路に面する部分が、約5.5メートル。奥行きが約70メートル。非常に細長い屋敷だったのだそうです。敵の侵入を防ぐためだったそうです。
屋敷が細長いと、仮に盗賊が屋敷に忍び込んだ場合に、探し易いのが利点です。その分、暮らしにくかったはずですか、欠点よりも利点を選んだのでした。
細長い部屋が何十メートルとつながっているうちを想像すると、面白いですよね。
明治時代になると、この落ち着いた街並みを好んだ明治官僚や商人、文人たちが移り住むようになります。小泉八雲が住んでいたのも、この場所。
何しろ彼は、当時の東大教授、お雇い外国人です。彼らは総理大臣とほぼ同じ額を給料として受け取っていた、超高給取りでした。彼らが住む高級住宅街が、この頃作られていきます。
ハイソな家庭で育った子供たちは、長じて音楽家となる者も多く、この町には音楽家が数多く住むようになりました。明治大正の日本は、室内楽がメインで、オーケストラを擁するほどは文化的に熟成されていなかったようです。
ところが第二次世界大戦の終戦後には、娯楽に飢えていた大衆の後押しもあり、百人町に多数いた音楽家を中心に、オーケストラが数多く誕生しました。
1946年に創設された東京交響楽団も、そのうちの一つ。その本拠地は、現在も、ここ、 新宿区百人町2-23-5なのです。
そして、彼らのための楽器修理の店がここに多く作られるようになりました。
今では信じられませんが、家庭に一台ピアノを置くのが当たり前、というピアノブームが数十年続きました。ピアノは一台百万円近くするビッグビジネスです。この辺りの楽器製造は、かなり賑わったそうです。
また、高級住宅街に住む人々が、終戦後に音楽を聞くために通うジャズ喫茶も、数多く作られました。
こうして、音楽の街として知られるようになりました。
それが、一変するのは、ロッテの工場が、百人町2丁目にできてからでした。
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