美輪明宏が、本日の紅白に出場します。
紅白初出場者の最高齢である77歳であり、北島三郎よりも一つ上。方や芸歴60年の大ベテラン、方や演歌界の大御所。楽屋の序列はどうなるのだろうと、下世話なことが気になります。
この方の簡単な経歴を紹介しますと、1935年に、長崎にて、遊郭でカフェを営む裕福な家庭で生まれ育つものの、戦争の影響で家が没落、上京してホームレスをするものの、その美貌が目に留まり歌手デビューしたのが1952年、17歳のとき。
やがてスターダムにのし上がり、その存在が三島由紀夫や吉行淳之介、寺山修司などの当時の一流文化人に注目され、演劇人として特異な地位を築き上げ、今に至るというものです。
でも、今の10代、20代の人々にとって美輪明宏を知るきっかけになったのは、まずはジブリの声優としてであり、次が「オーラの泉」ではなかったでしょうか。
舞台俳優として有名でありながら、スピリチュアルに造詣が深く、時には除霊までしてしまう姿を見て、あっけにとられたに違いありません。
私は彼のそのような特異性を、「オーラの泉」が始まる前、彼の著書「紫の履歴書」を読んで知りました。
当時は三島由紀夫に愛されたホモセクシャルの俳優という知識しかなかったのですが、大変強い意思と美意識を持ち、権威を否定し、現実を直視しながら芸術を追求していこうとする信念に圧倒されました。彼のことを知れば知るほど、その反骨精神、批判精神に魅力を感じたものです。
ただ同時に、その合理精神と、輪廻転生や霊の存在を信じるという非科学的な人生観とが同居することが不思議でした。
「自分は天草四郎の生まれ変わり」
「私には背後霊がみえる」
「除霊なんて簡単」
などといった発言が彼の著書にはてんこもりでした。今では皆さん、当たり前のようにご存知の内容ですが……。
「彼には霊が見えるからだ」
と言ってしまえばそれまでですが、それ以外に何かあるのではないか、とつらつら考えていた時に、死生観は死体と人生の関わりの中で生まれるのではないだろうかと思いついて、ふと合点がいったのです。
どういうことかといいますと、たとえば砂漠では、死体は腐るよりも先に乾燥していくことが多いものです。そうしますと、蛹が蝶になるのを待つように、黒く縮んだ死体が土の中で眠っているのをみる機会が多くなります。そんな砂漠で生まれた宗教は、死後、魂は眠りにつき、最後の審判の日には復活する……という考え方へと傾倒していきます。
それに比べて、インドのような亜熱帯では、死体はすぐに腐り、蛆に食べられて消えていくのを目の前にすることになります。そこでは人間の魂が、様々な動物へと生まれ変わっていく、という輪廻転生説が違和感なく受け入れられる土壌があるのではないか。
前者から生まれたものがユダヤ教やキリスト教、イスラム教であり、後者から生まれたのがヒンズー教や仏教です。
美輪明宏が人間の死を強烈に意識したのは、原爆でたくさんの人が亡くなったのを見たことでしょうし、その後彼が10代の頃に、「アポロン」と呼んだ最愛の人が自殺したことも、彼の死生観につよく影響を与えたに違いありません。何よりも、男の体でありながら、同性しか好きになれない自分の魂と肉体の齟齬に、強く悩まされてきたのでしょう。
その彼の違和感を整合的に説明できるのが輪廻転生説であり、天草四郎時貞の生まれ変わりであるという自負であり、霊の存在であるのでしょう。挫折と復活の繰り返し、堕ちても必ず救いの手が差し伸べられるという奇跡もまた、カルマの法則、正負の法則というものを確信させるにいたったのでしょう。彼が話していたことは、彼の人生そのものでしたし、だからこそ説得力があったのだろうと考える内に、彼の言葉がストンと腑に落ちたのでした。
と言ってしまえばそれまでですが、それ以外に何かあるのではないか、とつらつら考えていた時に、死生観は死体と人生の関わりの中で生まれるのではないだろうかと思いついて、ふと合点がいったのです。
どういうことかといいますと、たとえば砂漠では、死体は腐るよりも先に乾燥していくことが多いものです。そうしますと、蛹が蝶になるのを待つように、黒く縮んだ死体が土の中で眠っているのをみる機会が多くなります。そんな砂漠で生まれた宗教は、死後、魂は眠りにつき、最後の審判の日には復活する……という考え方へと傾倒していきます。
それに比べて、インドのような亜熱帯では、死体はすぐに腐り、蛆に食べられて消えていくのを目の前にすることになります。そこでは人間の魂が、様々な動物へと生まれ変わっていく、という輪廻転生説が違和感なく受け入れられる土壌があるのではないか。
前者から生まれたものがユダヤ教やキリスト教、イスラム教であり、後者から生まれたのがヒンズー教や仏教です。
美輪明宏が人間の死を強烈に意識したのは、原爆でたくさんの人が亡くなったのを見たことでしょうし、その後彼が10代の頃に、「アポロン」と呼んだ最愛の人が自殺したことも、彼の死生観につよく影響を与えたに違いありません。何よりも、男の体でありながら、同性しか好きになれない自分の魂と肉体の齟齬に、強く悩まされてきたのでしょう。
その彼の違和感を整合的に説明できるのが輪廻転生説であり、天草四郎時貞の生まれ変わりであるという自負であり、霊の存在であるのでしょう。挫折と復活の繰り返し、堕ちても必ず救いの手が差し伸べられるという奇跡もまた、カルマの法則、正負の法則というものを確信させるにいたったのでしょう。彼が話していたことは、彼の人生そのものでしたし、だからこそ説得力があったのだろうと考える内に、彼の言葉がストンと腑に落ちたのでした。
この方、どのように批判を受けようとも、いつも堂々としています。かといって偉ぶるのではなく、大御所なのに権威になることをかたくなに拒絶するというところが素晴らしいですね。
果たして彼は、本日、どのような歌を披露するのでしょうか?