こういう抑圧的な戦術は、1790年の帰化法以前に進歩や平等な公民権という夢がどのようなものだったのかということを分析する上で、見逃されがちであると思う。ほんとうのところ、この法律によって、南北戦争後1世紀もの間、南部の州は黒人投票権をうまく奪い去ってしまった。実際の黒人投票権は影響を受けざるを得なかったし、北部の州でも影響を受けた。この法律がシカゴで黒人の投票権をどのように操作したのかは、研究に値するだろう。しかし、黒人には投票権があり、人々には自分の意思や固有の権利を行使できるのだ、という事自体には何ら変わりなかった。リンカーンと南北戦争というと、大変昔のことのように思えますが、リンカーンはその写真がいくつも残っているのですから、つい最近のことなんですよね。
そして、制度上の黒人差別が完全に撤廃されるのは、数十年前のことなのでした。
より端的にいえば、黒人の公民権を抑えつけることを目的とする戦術は、より婉曲的になると同時に、黒人以外の人々も巻き込むようになる。白人よりも黒人を傷つけようとするアトウォーターの南部州攻略法はよく考えぬかれたものだったが、白人にも傷つけられた人々がいた。これが明確な奴隷制度や分離政策のような人種差別と異なっているところだ。奴隷制度の間、南部の白人は黒人から公民権を奪うことにためらいを持つことはなかった。奴隷制度が終わった後、彼らは人頭税と白人によるテロ活動を必要とした。白人のテロが駆逐され人頭税が違法となると、選挙制度そのものを標的とするようになった。しかし、様々な場合において、黒人以外の人々が犠牲者となるようになり、その渦は次第に広がっている。差別的な民主党の福祉政策とは、ニューディール政策で、白人の反発を恐れて黒人へ差別的な政策をとったことを指しているものと思われます。
差別的な白人民主党が、黒人を対象としない福祉国家を夢見た初期の歴史と同じようなものをそこに見るかもしれない。そんな陰謀が支持されなくなったとき、黒人を主に利する福祉国家への攻撃が戦略となった。それがダメになると同時に、肌の色に関係なく、福祉国家自体を標的とするように戦略が変わったのだ。アメリカ人の2人に1人が下層階級になるまでずっと、同じような間隔で表面上の下層階級が成長する。
このすべてにおいて、その根っこに、白人をある意味政治的な結束へと向かわせる陰険で考えぬかれた方針があるといえるのではないか。全て本当だとは言えないけれども、白人の人気取り的な集団がこの国を半分に分けてみせるとき、私たちはそうなってしまうのではないかと思うのだ。
黒人の白人不信は、オバマ大統領が選挙で選ばれた後も、いまだ根深いものがあるのでしょうね。
ロムニー氏が所属しているモルモン教は、公民権運動が黒人差別撤廃を成し遂げた後の、最後の人種差別のための砦と言われていました。
教義は黒人差別を公式に肯定していたため、モルモン教に入れば公然と黒人を差別できます。
でもそれも1978年には上層部から公式に撤回されることが公布されたため、現在は黒人もモルモン教に入ることが出来るようになりました。
ただ、それでも昔の記憶があるため、モルモン教といえば黒人差別……というような意識が、黒人の中には強いのかもしれませんね。
アメリカ人が健康保険制度などに頑なに反対するのに、黒人蔑視の感情があるのではないか、という視点は重要かもしれません。
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