「マッドサイエンティスト」というのは、SF映画ではおなじみのキャラクターですが、現実の世界では滅多にお目にかかれません。教養のある人間は、それなりに常識をもっているからでしょうか。
しかし、世の中には異常な世界に足を踏み入れたマッドサイエンティストがいるのは事実。
世界史に名を刻んだ、マッドサイエンティストをご紹介します(日本人も含まれていました)。
10. パラケルスス
(1493-1541)
スイス生まれの錬金術師であり、伝説上の人物です。
ホムンクルス(小型人間)を創りだした、などのまことしやかな噂によって、生存当時から有名であり、非難をされてきた人物でした。
ところが彼がそこまで周囲に忌み嫌われたのは、科学者としての立場からキリスト教を批判したことが原因だとも言われています。
しかし、ガリレオのように科学者の良心を貫いた存在としては伝わらず、マッドサイエンティストという不名誉な存在として、西洋で伝説的な悪名を誇っています。
9. J.ロバート·オッペンハイマー
(1904-1967)
言わずと知れた、核兵器開発の中心となった科学者です。
ロス・アラモス研究所の初代所長として、原爆を開発しました。
ところが、戦後は彼の家族に共産党の支持者が多く、彼自身も共産党の集会に顔を出していたことから、ソ連のスパイではないかと疑われ、死ぬまでアメリカ当局の監視下に置かれることになったのです。
彼は原爆を開発したことへの自責の念から、日本人科学者のアメリカへの受け入れのために尽力したそうです。
8. アルフレッド·ノーベル
(1833-1897)
ノーベル賞に名前を残したノーベルの開発したダイナマイトは、当時大変危険だったニトログリセリンを誰でも利用可能な爆薬へと改良し、巨万の富を作りました。
しかし、当時は近代国家間で大規模な戦争が起こっていた時代であり、彼の開発したダイナマイトは、戦時中に兵器として大きな役割を果たしたため、彼の名前が今回のリストに加えられたようです。
7. トロフィム・ルイセンコ
(1898-1976)
彼はソ連時代、ロシアの農学者として、様々な政策に関与、ロシアの農学界に君臨しつづけました。
無能なくせに政界に大きな影響力をもっていたため、真実は追いやられ、彼に歯向かった科学者達は次々にシベリア送りとなりました。
DNAの構造がまだよく分かっていなかった当時「個体が後天的に身につけた形質は、遺伝しうる」と唱えて様々な農法を実地に応用、ほとんどが失敗して、ソ連の農業を大きく後退させました。
6. ジャック・ケヴォーキアン
(1928-2011)
日本で言えば、ドクター・キリコ、といったところでしょう。
安楽死装置を開発し、130人の末期病患者の自殺幇助を行い、とうとう殺人罪で告訴され、8年間服役するはめになりました。
釈放後には、尊厳死啓蒙に尽力した後、腎臓疾患で83歳で亡くなりました。
5. タスキギー研究所のメンバー
1932年から1972年の40年間、米国アラバマ州のタスキギーにある公衆衛生局(PHS)のメンバーが、梅毒の無料治療の名目で、399人の黒人男性に治療をせずに放置し、その病状がどのように悪化していくかを観察したというものです。
そのメンバーには黒人も含まれていたために、単なる人種差別問題にとどまらず、医師の倫理を問われることとなりました。
4. ヨハン·コンラッド・ディッペル
(1673-1734)
フランケンシュタインの元ネタになった医師です。
ディッペル骨油の開発者でもありますが、何しろ動物の骨から油を作りだすという方法の開発者のために、
「動物の死体を使って、実験を繰り返した」
という事実が、
「彼は人間の死体を実験材料にするために、墓場をあさっていた」
という根も葉もない噂へすりかわり、誹謗中傷の的となった模様です。
3. ジークムント·ラッシャー
(1909-1945)
ナチスの科学者が、3位と2位にランクインしています。
3位のラッシャーは、低圧室に人間を入れて、どれくらい圧力を下げると人は死ぬのか、などの、意味のない実験をユダヤ人や少数民族相手に多数行いました。
しかし後に、自分の子供を拉致や買収によって違法に手に入れていたことが判明。
ヒムラーの逆鱗に触れて、ドイツ敗戦前に処刑されてしまいました。
2. ヨーゼフ·メンゲレ
(1911-1979)
死の天使と言われて、ラッシャー以上の狂気の実験を繰り返した医師でした。
双子に異常な関心を持っており、双子の背中の静脈同士を縫い合わせ、人工的なシャム双生児をつくり上げる、などの猟奇的な実験を繰り返しました。
ところが戦後、彼はブラジルへと逃げのび、1979年に67歳で死亡しました。
彼が逃げて回った先のブラジルのとある村では、異常な数の双子が生まれるなど、いろいろな伝説に彩られた医師です。
1. 石井四郎
(1892-1959)
日本の731部隊では、数多くの人体実験を行ったと言われています。
1936年に、731部隊はハルビンに広大な研究所を与えられ、生きたままの生体解剖や、囚人の手足切断と別の場所への再移殖、凍傷の実験などが数多く行われたと言われています。彼は戦後進駐してきた米軍と交渉し、人体実験で得られた実験データの提出とともに罪を免れ、1959年に67歳で亡くなりました。
こうしてみますと、医師の犯罪が多いですね。
普段から人間の生死に関わっていると、人間が目の前で死ぬことに何の痛痒も感じなくなってしまう危険性があるのかもしれません。
戦争は人を狂わせますが、その中にも良心を持って行動した人々は大勢います。
決して、人間に良心がないわけではないと思うのです。
http://listverse.com/2007/11/18/top-10-evil-scientists/
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