夜間外出禁止令を出しても、それを平気で破って住宅に侵入する彼らの無法ぶりに怒りがわきます。
★ 沖縄米兵また逮捕、酔って住居侵入容疑
酒に酔ってビル内の部屋に侵入したとして、沖縄県警那覇署は18日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)所属の海兵隊中尉トーマス・チャンケット容疑者(24)を住居侵入容疑で現行犯逮捕した。今回犯行を犯した海兵隊は、沖縄に駐留している米軍の中でも性質が悪く、年間1,000件ほど発生すると言われている米軍の起こす事件のうち、犯罪行為に関わっている者の率が最も多い、と言われています。
海兵隊は、戦争の際にはいつでも前線で戦うように(殺人をいとわないように)訓練されており、性格の荒い集団であることも関係あるのでしょう。
米軍は陸軍、海軍、空軍、沿岸警備隊、そして海兵隊の5つの軍隊で構成されています。
海兵隊はその中で最強の呼び名が高く、紛れもなく、世界で最強の戦闘集団です。
そのストレスたるや生半可なものではなく、そのため、日常で問題を立て続けに起こすことが多いのだとか。
しかし、沖縄に駐留している海兵隊は、約15,000人。
すべてが人格破綻者かといえばそんなことはなく、厳しい訓練の末に手に入れた強い精神と肉体で、強い使命感をもって勤務に励んでいる人のほうが圧倒的に多いのです。
★ 10 Great US Marines
対象の本質を知るために、犯罪行為を行う兵隊ばかりをクローズアップするのではなく、人々から尊敬されるような海兵隊出身の著名人のことを知ることは当然のように重要だと考えます。
本日は、米国海兵隊の中で、偉大な存在としてリスペクトされた10人の兵士について、ご紹介していきましょう。
10 ブライアン·マイケル·スタン
(1980年9月24日生)
ブライアン・スタンは日本の横田基地で生まれました。
海軍兵学校を卒業後、海兵隊に入隊した彼は、総合格闘技を学びます。
配属されたイラクで、2005年5月、42人の小隊の副隊長として従軍中に、危機的な状況から全員を救い出した栄誉で勲章を受賞しました。
その後2006年に総合格闘家としてデビューし、2008年にWEC世界ヘヴィー級チャンピオンになりました。
現在は結婚し、2人の子供に恵まれているそうです。
9 ロバート·レッキー
(1920年12月18日~2001年12月24日)
第二次世界大戦に、機関銃手および情報部隊員として参加して、ガダルカナル戦やペリリューの戦いなどに従軍し、戦後は新聞記者として活躍しました。
その後、1957年に『ヘルメットを枕にして』を発表、ベストセラーとなり、以後、アメリカ戦史を題材に40冊以上の本を書き上げました。
8 ユージン・スレッジ・デュラン
(1923年11月4日~2001年3月3日)
彼もまた、海兵隊を除隊後に作家として成功しました。海兵隊を除隊後は、市民生活に順応できず、動物を殺すことにも耐えられずに趣味の狩りができなくなります。
それを見かねた父がバードウォッチングをすることを提案し、それが彼のリハビリとなり、やがて大学に再入学、30歳で研究室の助手となり、1970年にはアラバマ大学の生物学の教授となりました。
1981年に『ペリリュー・沖縄戦記』を出版して、作家としてもデビューした、多彩な人でした。
7 ジョン·ハーシェル·グレン·ジュニア
(1921年7月18日生)
第二次世界大戦と朝鮮戦争で活躍した後、戦闘機パイロットの経歴を認められてNASAの宇宙飛行士となり、1962年に地球を周回する最初のアメリカ人になりました。1974年オハイオ州から上院議員として立候補、1999年まで上院議員として政界で活躍しました。1998年には77歳で宇宙に9日間滞在したことでも有名となりました。
6 ダニエル·ジョセフ·ダリー
(1873年11月11日~1937年4月27日)
今まで挙げた海兵隊とは異なり、こちらはもっと古参兵です。義和団の乱や第一次世界大戦で活躍した彼は、1901年と1915年、それぞれの戦いで勲章を与えられたのだそうです。
彼の有名な言葉に、仲間を奮い立たせるために言ったとされる「永遠に行きたいのか?」というものがあり、これはアメリカではよく引用される言葉だそうです。
5 アイラ・ハミルトン・ヘイズ
(1923年1月12日~1955年1月24日)
彼の名を有名にしたのは、硫黄島の戦いです。
あの有名な、海兵隊が旗を硫黄島に掲げるシーンは、存続の意味を問われている海兵隊(陸軍と海軍があれがいいじゃないか、という声あり)の存在の必要性を意味づけるものとして、人々の記憶にとどまっています。
硫黄島の戦いでは、日本軍は守備兵力20,933名のうち20,129名が戦死。アメリカ軍は6,821名の戦死者を出しました。これだけの被害をアメリカにもたらしたのは、硫黄島の戦いを指揮していた栗林忠道陸軍大将の徹底したゲリラ戦のお陰だと言われています。
4 ロナルド·リー・アーメイ
(1944年3月24日生)
彼の名前を一躍有名にしたのは、映画『フルメタル・ジャケット』のハートマン鬼軍曹役としてでしょう。実際に海兵隊で指導教官として従軍していた経歴を請われて、最初は演技指導を行なっていたのですが、あまりの迫力に監督から訳者として出演して欲しいと依頼されたことがあの有名なシーンへとつながるのです。
3 ジョン・バジロン
(1916年11月4日~1945年2月19日)
第二次世界大戦で活躍後、硫黄島の戦いで戦死した彼は、名誉勲章、海軍十字章、パープルハート章という軍隊の中でももっとも栄誉ある勲章を三つすべてを受章しました。そのような戦績の持ち主は彼一人であり、彼の名前は駆逐艦に名付けられました。
特に、ガダルカナルの戦いでは、3日間の攻防戦で、バジロンの部隊15名のうち12名が戦死しながらも、3000名の我が日本軍を撃退するという功績を与えられました。そのため、名誉勲章を受章しています。
2 ジョン·アーチャー・レジューヌ
(1867年1月10日~1942年11月20日)
彼は「海兵隊の中の海兵隊」としても知られています。米西戦争や第一次世界大戦に従軍して、アメリカのために戦いました。
1 ルイスバーウェル・プーラー
(1898年6月26日~1971年10月11日)
「うぬぼれ屋のプーラー」として知られる彼は、第二次世界大戦や朝鮮戦争に従軍して、数々の戦績を上げました。多くの勲章を受賞し、フリゲート艦は彼にちなんで命名されました。
彼の息子も軍人として有名でしたが、ベトナム戦争で両足と手の一部を失い、1994年に自殺したそうです。
過去から現在まで、アメリカの歴史は戦争の歴史でもあります。世界の警察として、これからも世界各地で戦闘に従事していかなくてはならないのでしょう。人々の記憶に残った上記の人々と、人々から忘れ去られた無数の海兵隊員たち。海兵隊について調べる内に、無常観のようなものを感じずにはいられませんでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿