ジョン・レノンという歌手については、知らない人の方が少ないでしょう。
「ビートルズ」というバンドのメンバーとして、数々の名曲を量産。
世界中のミュージックシーンを変えたと言われています。
ただ、一音楽家として終わったのならば、ここまで多くの人々の記憶にとどまらなかったかもしれません。
彼が、今でも世界中に影響を与えているのは、ベトナム反戦運動の旗手として人々に平和を訴えた、功績が大きいでしょう。
政治活動だけなら、大勢の政治家の仕事と何ら変わりません。
しかし、一流の音楽家の政治活動は、影響力が違います。
そして、彼の主張は、当時のアメリカ合衆国政府の姿勢と真っ向から対峙しました。
数多くの脅迫を受けましたが、彼はそれに屈しませんでした。
「アーティストは表現活動によって、世界を変えることができる」
そう信じて、行動した彼の活動が、世界の若者たちに大きな影響を与えたのです。
彼は多くの人に影響を与えましたが、彼自身もいろいろな人々に影響を受けて、彼という人格を形成しました。
若いころのポール・マッカートニーとの出会い、マネージャーであるブライアン・エプスタインからのアドバイスなどのお陰で、世界から愛されるアーティストへと変貌していきました。
その彼が、音楽活動に飽きたらず、反戦運動に大きく舵を切ったのは、オノ・ヨーコの影響です。
オノ・ヨーコは日本人ですが、大学中退後にアメリカに渡り、前衛芸術家として活躍していました。
彼女の展覧会に、1966年11月9日、ジョン・レノンは偶然、客として訪問します。
彼女の作品の名前は「天井の絵(Ceiling Painting")」
脚立に客は登って、天井に貼られたキャンバスを覗く、という趣向です。
脚立に登り、虫眼鏡を使って覗いた天井のキャンバスには、絵ではなく文字が書かれていました。
ただ一言、
"YES"
と。
素敵な作品です。
日本語の語感だと、
「大丈夫」
になるのかもしれません。
人間はとにかく、自分のことが一番大切な生き物です。
自分の存在価値を高めるために、他人を否定する人が世の中には、とても多いもの。
ふと気づけば、自分が否定する側に立っていることに気づくこともしばしばです。
傷つけられることが常態化するうちに、自分を守るために、他人を否定するのです。
そんなときに、誰かに、"YES"といってもらうだけで、心がふっと楽になる人は多いはずです。
誰もが、自分を肯定してもらいたがっています。
当時のビートルズは、大勢のファンから支持されながら、批評家や知人、教育者などからは批判も集めたため、メンバーのストレスたるや、並大抵なものではありませんでした。
揺れ動く自我に苦しんだジョン・レノンは、脚立をのぼり、天井を見上げ、そして"YES"という言葉をそこに見出した時に、救われたと感じたのかもしれません。
この話を聞いた時に感銘をうけたので、ご紹介しました。
0 件のコメント:
コメントを投稿