2012年12月19日水曜日

猪瀬直樹・新都知事のとある一面について ①

昨日予告していたとおり、今は絶版となっている『偽りのノンフィクション作家 猪瀬直樹の肖像』(以下『偽りの……』)の内容をご紹介しましょう。

長くなりましたので、いくつかに分割します。

「チーム」という聞きなれない出版社から刊行されたこの本は、現在中古本市場で3,000円以上の価値がついています。

もともと1,300円の本が2倍以上の値段となっているのには、それ相当の理由があります。
今や都知事となった猪瀬氏。
彼が文藝春秋社から出版した『交通事故鑑定人S氏の事件簿』(以下『交通事故……』)を絶版に追い込み、ノンフィクション作家としての資質に「ノー」をつきつけた、匕首のような作品だからです。

その帯には、白地に黒で、このように挑戦的な言葉が踊ります。
拝啓 文藝春秋社 社長様
猪瀬直樹著『交通事故鑑定人S氏の事件簿』文藝春秋社刊)は、徹頭徹尾の欠陥ノンフィクションですので、リコール広告を出し、読者に代金をお返しして全数回収してください。
交通事故鑑定人 林洋
アマゾンレビューではすべての評者が☆5つをつけています(2012年19日現在)。
それだけ『偽りの……』の内容は凄まじいのです。

そもそものきっかけは、猪瀬氏が『交通事故……』の元となる記事を、1987年に雑誌に発表したことに始まります。

「交通事故鑑定人」とは、中立的立場から交通事故の「真相」を明らかにするプロのことをいいます。
1987年当時の日本には、損害保険会社や企業に属さない中立的立場の交通事故鑑定人は、10人ほどしかいない、貴重な存在でした。

猪瀬直樹はこの交通事故鑑定人の一人、S氏に1986年に取材をして、彼の推理、仕事ぶりに感銘を受け、ドキュメンタリー記事を1987年に雑誌に発表します。
S氏は交通事故鑑定の世界では不遇をかこっていた人物のようですが、猪瀬氏のお陰で一躍時の人となったものの、その年に不運にも亡くなってしまいました。

S氏の最後の薫陶を受けた猪瀬氏にとって、
「自分がS氏に代わって、交通事故鑑定業界に風穴を開けてやる!」
という、気負いのようなものを、そのとき、感じたのかもしれません。

ちなみにS氏とは、自動車事故工学解析研究所の所長であった鈴鹿武のことですので、これ以降は、鈴鹿氏と記述することにしましょう。
その7年後、1994年にこの一連のドキュメンタリーが、文藝春秋社から『交通事故鑑定人S氏の事件簿』にまとめられて出版されたのでした。

この書籍によって猪瀬氏は、交通事故鑑定にも一廉の見識をもつ、専門家の1人と目されるようになりまして、そこから彼の攻勢が始まります。

交通事故鑑定の権威者であった江守一郎・成蹊大学名誉教授の批判を1994年、週刊文春9月8日号から始めたのです。江守氏の鑑定が杜撰なのではないか、という疑義を呈したのです。

その反響は大きく、10月6日号で、さらに江守氏に追撃の手を加えるのですが、その中で彼が言及したのが、『偽りの……』の作者である林洋氏なのでした。江守氏を批判するついでのように林氏に痛烈な侮辱を投げかけたのです。

これには伏線がありました。猪瀬氏の尊敬する鈴鹿氏の鑑定を、林氏が生前に2度叩き潰しており、鈴鹿氏はそれを恨みながら死んでいったのです。猪瀬氏にとっては、恩師の恨みを7年ごしで討ったつもりだったのかもしれません。

~猪瀬直樹・新都知事のとある一面について ②に続く~

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