2012年12月23日日曜日

猪瀬直樹・新都知事のとある一面について ⑤

「猪瀬直樹・東京都知事候補の支援者たちが堂々と選挙違反!」より
A 作家・猪瀬直樹が交通事故鑑定人・林洋を週刊文春誌上で批判(1994.10)

B 林氏が猪瀬氏と出版社に厳重抗議

C 文藝春秋社編集部が林氏に話し合いを提案、林氏は懐柔されるつもりはない、とこれを拒否

D 林氏、『交通事故……』所収の全5事例全ての誤りを指摘した小冊子30冊を作って各方面に配布したが、ほぼ黙殺される

E 林氏の弾尽きたと判断したのか、猪瀬が第二弾の批判(1995.10)

F 林氏、雑誌「宝島30」にて詳細に、猪瀬本の過ちを指摘(1995.11)

G 林氏と猪瀬氏、雑誌「宝島30」誌上で討論したが、紛糾して終了(1996.1)

H 林氏、上記小冊子を元に下に掲載した本を上梓(1996.3)


F 林氏、雑誌「宝島30」にて詳細に、猪瀬本の過ちを指摘(1995.11)
林氏の主張は黙殺されてしまいそうに見えましたが、猪瀬氏が林氏の反論に反応したために、逆に業界の注目を浴びてしまったようです。
「雉も鳴かずば撃たれまい」
といいますが、まさに猪瀬氏、墓穴を掘ってしまいます。
『偽証鑑定』を書き上げ、マスコミ各社に送付したにも関わらず、反論の場を提供しようという出版社はなく、半分諦めていた私のところに『宝島30』の編集長から連絡があった。
昔は猪瀬のようなメディアの寵児に反論するためには、ひたすら出版社などのお声がかかるのを待つしか方法がありませんでした。

それが今なら簡単に自分のサイトで反論し、そこに説得力があるのならば、すぐにTwitterで拡散していくのが今の世の中。当時、林氏はご苦労されたようです。隔世の感があります。

それはともかく『宝島30』の誌面を提供された林氏、『偽証鑑定』に書いた内容のうち、2鑑定をさらに掘り下げて、検証を行ったのです。その影響は小さくなかったようです。

林氏にとって、猪瀬氏や彼が師事する鈴鹿氏の考え方は到底我慢できるものではありませんでした。
・最低限の知識のない人間が現場にきても、意味ある情報を把握することが出来ない。
・事故の直後にノウハウを持った警察官によって行われる実況見分や、事故調査会社の調査報告書から意味ある情報を手に入れることのほうが大切。
という信念を持っている林氏にとっては、闇雲に事故現場を歩き出して珍説をひねくり出す鈴鹿氏も、交通事故や自動車の構造上の仕組み、物理法則について知識を持たずに専門外から口を挟む猪瀬氏も、我慢ができない存在だったのです。


G 林氏と猪瀬氏、雑誌「宝島30」誌上で討論したが、紛糾して終了(1996.1)
林氏、猪瀬氏、それと猪瀬氏側には交通事故の専門家なる二瓶弁護士がつきそい、1995年11月17日に宝島編集部で討論が行われました。

このときの討論の題材となったのは、猪瀬氏が鈴鹿氏の名鑑定として第一話に挙げた「左折事故の恐怖」でした。

これ、説明が難しいので……。続きは明日にしましょう(汗

~猪瀬直樹・新都知事のとある一面について ⑥に続く~

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