笑うCasey Anthony被告/BackChinaより |
推定無罪は「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という、近代法の基本原則である(Wikipedia)この言葉を題名につけられたハリソン・フォード主演の映画は、1990年に世界的に大ヒットしました。
「推定無罪」は近代法の基本原則ではありますが、それとは逆に、無罪と宣告されたけれども、どう考えても有罪だろうと推定される事件があります。
★ ケーリーちゃんが失踪した日、母親のパソコンに「絶対確実 窒息」の検索履歴があった
2008年にケーリー・アンソニーという3歳の少女が失踪したあと、遺体でみつかりました。
当初はケーリーの母親は、悲劇の主人公としてメディアで報道されていたこともあったようですが、あとになって母親の供述が二転三転、その上、娘がいなくなったあとにボーイフレンドと遊び回っていたことも判明したため、世間の目は次第に厳しくなっていきます。
さらには彼女に不利な供述が次々に出てきたために、どう考えても母親が犯行を犯していたのだろう、という推測が決定的なものとなり、とうとうケーシーは容疑者として逮捕されました。
ところが、くだされた判決は"無罪"。
殺人の証拠として提出されたものが、どれも決定的なものではなかったからでしたが、なによりも、ケーリーちゃんがみつかったときほぼ白骨化していたため、死因が特定できなかったことが大きかったようです。
しかし、これに納得できないアメリカの世論は沸騰し、現在に至っています。
この辺りについて、詳しくは「ケーシー・アンソニー裁判「無罪評決」の衝撃とは?」に記載されています。
そして判決後に判明した事実では、子供が殺害された当日、母親しか利用できない時間帯のパソコンの検索履歴の中に、子供の死因に関係する「絶対確実 窒息」という言葉が残っていたそうです。
どう考えても、母親が犯行を犯したとしか思えないのですが、しかし時遅く、彼女の無罪は確定してしまったため、二度と判決が覆されることはありません。
人を殺したであろう女性は堂々と市井に戻り、何くわぬ顔でこれから日常生活を営んでいくのです。
似たような事件が、日本にもありました。
★ 誘拐殺人と放火殺人、限りなき灰色・工藤加寿子
北海道で昭和59年に起きた小学生誘拐殺人事件の犯人として限りなく黒に近いながらも、無罪を勝ち取ったばかりか、身柄を拘束されていた間の刑事補償を求め、1000万円以上の補償金を手にいれたというものです。
こういう話は滅多にあることではりあませんが、たまにあるので腹がたちます。
しかし不条理ですよ。
ただ、ケーリーちゃんの事件には、一つの燭光が見いだせます。
これまで知ることが出来なかった人間の心の動きを、インターネットのアクセス履歴によって追うことが可能になりつつある、という事実です。
見てくれがよくてお金持ち、誰からも好かれるような人物が、実は遵法意識皆無な糞野郎だった、という話はよくありますが、彼らは自分の外見を取り繕うことがうまかったので、心のなかの動きまでを探ることはできませんでした。
ところが、
「Twitterは馬鹿発見器」
とよく言われるように、彼らは考えていることをそのままTwitterにアップして垂れ流します。
やがて中身が暴露されて、世間の糾弾を受ける事件が最近多発しています。
さすがに、ある程度の常識のある人間はTwitterで犯罪告白をしません。
しかし、検索履歴やアクセスログには、必ずその人の思考の痕が残るのです。
もちろん、調べることと実際に犯罪を犯すこととの間には相当の乖離がありますが、それでも、その人の思考の傾向を探ることができるようになりました。
「思考の痕跡を調べられる社会」
いかにもSF的ですが、すでにそんな時代に、私たちは突入しているのです。
ケーシーが犯罪を犯したのは2008年、今よりもネット利用は少ない時代でしたが、今ではスマートフォンが普及しているため、人々は頻繁にネットを検索しています。今なら、彼女は殺害の動機も、アクセス履歴として残していたかもしれません。
これまでは曖昧だった、
殺人の動機などが、これからはアクセスログを解析されて明らかにされていき、犯罪究明に役立っていくでしょう。
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