日蓮といえば創価学会がおなじみですが、それだけではありません。身延山久遠寺を本山とする日蓮宗そのものが390万人の信者を有していますし、その他にも430万人の信者数を誇る立正佼成会、160万人の信者数を誇る霊友会など、多数の日蓮の教えに帰依する宗教団体があります。
芸能人や政治家にも多数信者がいまして、前都知事の石原慎太郎は先述の霊友会の信者であり、法華経についての本を書いているほどです。合理主義の権化のようなイメージとは異なりますよね。
信者が多い理由には、いくつもありますが、その一つの理由に、平等性があるようです。
残念なことに日本では、日蓮を崇拝する宗教団体にあまりいい印象を持っていない方が多いようです。その大きな理由は、創価学会が、政治に口出し、昭和20年代から40年台にかけて社会問題となるほど猛烈な、折伏(しゃくぶく)と呼ばれる宗教勧誘を行ったのが原因です。
彼らの当時の主張を調べてみますと、
・ 釈迦の教えだけでは、現代社会では有害になるという、仏教のくせに釈迦を否定するという他に例を見ない信念をもち、学会に多少なりとも興味を示した人の家に大勢で押しかけては、何時間も、
・ 現代社会では、日蓮こそ真の本仏であり、釈迦よりも優れている
・ 間違った教えを信じている人や国は滅びる
・ 日蓮以外を信じる人を、放置するあなたも無間地獄に堕ちる
「◯◯学会に入れ」
と迫り、改宗するまでその場を動かない、というやり方をとっていたそうです。
これって、尼崎のあの事件でいくつもの家族を食いつぶした奴らのやり口ちゃうんか……などと言うことはいまさら言いますまい。この強圧的な行動によって大きく勢力を伸ばした反面、多くのアンチを生み出してしまいました。
ただ、そもそもそこまでの行動力を彼らに与える力が、日蓮自体にあったのは事実です。なぜ他の仏僧を差し置いて、日蓮が明治以降、多数の日本人にこれほど熱狂的に支持されたのか。それは、日蓮と近代との相性の良さに原因の一つがあったように思います。
日本人はペリー来航をきっかけに、西洋と触れて民主主義を学びましたが、それ以前に民主主義の萌芽は、まったくなかったわけではありません。日蓮宗の歴史の中には、濃厚な民主主義が花開いていたのです。
え? それを言うならば、浄土真宗じゃないの? などとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
加賀(現・石川県南部)の一向一揆では、1488年、加賀の守護大名だった富樫政親(とがしまさちか)が浄土真宗である本願寺門徒を抑えつけようとして逆に反乱を起こされて殺されてしまいました。それ以降1580年までの92年間、加賀は「百姓の持ちたる国」と言われ、守護大名の支配下から脱したと言われているからです。
ところが実情はどうも異なっていたようです。加賀を支配していたのは、百姓を始めとする住民ではなく、京都にある本願寺であり、実態は寺院による支配だったのではないか、というものです。
(明日に続きます)
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