(昨日の続きです)
人は、人間が平等であるという確信を、どうすれば持てるのでしょうか? 一番いいのは、最底辺と言われている人々に、尊敬できる人がいることです。尊敬と軽蔑は対局にある価値観ですから、同居できませんからね。
その点、日蓮宗では、宗祖である日蓮自身が、
「自分は旃陀羅(せんだら=被差別民、インドにおける被差別民であり、ハリジャンとかアンタッチャブルなどと呼ばれ、他人から嫌がられる不浄の仕事を請け負ってきた人々)の子として生まれた」
と宣言しているのです。信者は人間が平等であると考えざるをえないのです。
日蓮の親は漁師だったといいます。当時の日本で漁師が身分制度の最下層だったという事実は見当たらず、日蓮の自称が正しいのかどうかは、検討の余地があるところでしょう。
ただ、もっとも尊敬されるべき立場の人間が、自分のことを最下層出身ですと堂々と宣言して、身分制度を否定してみせたことによって、日蓮宗の信者たちの中に、人間は生まれつきの貴賎はない、という強い信念が広がったのは当然だと言えます。
さて、冒頭の話へと戻ります。
美輪明宏は、紅白歌合戦で「ヨイトマケの歌」を歌いました。建設現場で働く母のことを思う子供の気持ちを歌ったものです。彼の中には、性同一障害者として生まれた自分を肯定し、他人から蔑まれても、決してへこたれない強い自信が感じられます。それが、他人から蔑視の対象となりがちな土方への共感、同情へとつながっていったのでしょう。
本来、人間の能力も、富も、運命も、平等ではありません。それでも、私たちの生命の価値は平等であるという強い信念を持たねばなりません。事実とは異なる信念を持つことは、本来は大変難しいことなのです。それを軽々とやってのけるからこそ、美輪明宏に人々が夢中になるのでしょう。
同じ理由で、日蓮宗が日本の中で特異な輝きを放ち、未だに熱烈な信仰を集めているのかもしれません。
日本の近代化には、東海地方の製造業が大きく貢献しています。東海地方は、日蓮宗の信者が多い地域です。静岡県富士宮市には日蓮正宗の本山である大石寺があります。日蓮宗を進行する人々が中心となり、ホンダやヤマハといった有名企業を育てました。日蓮宗は、明治以降の日本の繁栄にも大きな影響を与えています。
もっとも、日蓮宗にも問題は多々あります。他宗派を排斥の機運が強いことや、宗教勧誘が強引といった問題。散々、日蓮宗と民主主義は相性がいい、と書いておきながらなんなんですが、「このお経を信じない人間は旃陀羅(せんだら)と同じだ」という文言が法華経の中にありますから、矛盾しています。
ただ、過ちや欠点があったからといって、その全てが悪いというわけではありません。国際化していく世界の中で、日本人のアイデンティティが問われている昨今、近代化と相性がいい日蓮の思想に改めて興味を持ってみるのも、いいかもしれません。
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