原因はいくつもあるのでしょうが、インターネットの普及は要因の一つでしょうね。パソコンや携帯に触れている時間が長く、メールのやり取りが増えて便利になった反面、他人と直接会って、対面で話す機会が減り、コミュニケーション術を実地で学ぶ機会が格段に少なくなりました。
コミュニケーション能力が最初から備わっている人もいるでしょうが、そうでないならば、失敗を重ね、痛い目に遭いながら獲得するしかありません。不注意なセリフで仲がギクシャクしたり、配属された部署の人間とどうしても反りが合わなかったり、周囲の人間とうまく人間関係が築けなかったり……。社会に出て苦労をしながら、少しずつコミュニケーション能力を磨くことができた時代に比べて、今では経験を積む機会が圧倒的に足りません。
巷にはコミュニケーション能力を伸ばすための方法とやらがあふれていますが、ほとんど役に立っていないようです。コミュニケーションの達人と言われている人々は、もともと明るく社交的で、スポーツが得意で、頭のいい人が多いので、こんな人々から、
「話しかけて、笑いをとればいいのさ」
というアドバイスを受けても、コミュニケーション能力が低い人々が応用可能とは思えません。もっと底辺の人間に実行可能なコミュニケーション術は、ないものでしょうか?
そこで、以前友人から聞いた華僑のコミュニケーション術についてご紹介しようと思います。
私の友人は、大学卒業後に就職せず、1年半、ワーキングホリデーに参加しました。目的は、英語を学ぶことと、自身の内気な性格を治すこと。オーストラリアの語学学校に3ヶ月通い、その後現地の大学に留学していたようです。
彼は感情の起伏が激しく、頑固なくせに口下手で引きこもりがちであり、当初は現地で友人が誰もいませんでした。
語学学校と家の往復以外は、近くの中華料理屋で、毎日一人で食事してぼんやりするのが日課となった彼は、同じように毎日店にやってくる老人と、知り合いになりました。
中国から移民してきたという老人の英語は、相当怪しかったそうですが、漢字と英語の両方でコミュニケーションを取れるため、彼との意思疎通はそれほど問題なかったといいます。私の友人は、老人から、華僑と呼ばれる中国系の人々が、現地で大きな力を持っていることなどを教えてもらったそうです。
「日用品はいつも、◯◯というスーパーで買っています」
「ああ、あの店はチェンがやっている店だよ」
という発言が頻繁にあり、その辺り一帯に華僑資本が浸透しているのを実感したといいます。
オーストラリアは1973年前まで、「白豪主義」という白人至上主義をとっていました。白人以外が移民してくることに厳しい制限があり、移民したらしたで、アジア系の人々は見下され、たびたび迫害を受けたのだといいます。
移民としてやってきた華僑は相当な苦労を重ねたようですが、真面目に仕事をして信用を勝ち取り、次第に地域に溶け込むうちに商売に成功し、やがて地域になくてならない存在となったのだといいます。
ちなみに華僑の出身地には下記のような違いがありますが、
広東人 広東省広州周辺出身で広東語を話すこの老人の出身地は福建省だったそうです。
マレーシア、ベトナム、アメリカ
潮州人 潮州や汕頭周辺の出身で潮州語を話す
タイ、ニューヨーク、シンガポール
客家人 梅州周辺や陸豊、海豊周辺出身で客家語を話す
マレーシア、インドネシア、
福建人 福建省南部の廈門、泉州周辺や台湾出身で福建語を話す
フィリピン、シンガポール、マレーシア、インドネシア、ベトナム、アメリカ、オーストラリア
温州人 温州周辺出身で温州語を話す
アメリカ
さて、友人はあるとき、老人の部屋に遊びに来るように誘われました。そのときに、額に入って部屋に飾られていたのが、「陶朱公の十二則」でした。日本で、徳川家康の遺訓が飾られているのと同じのりなんでしょうね。
陶朱公の十二則
「これはいったいなんですか?」
と尋ねる友人に、老人は、それが弱者が生き抜くための知恵であり、体格でも、権利でも、コネクションでも白人に劣る彼ら華僑が、現地で生き抜くための方法論だと教えてくれたと言います。
「社会的な成功よりも、人間関係をどうにかしてよくしたい」
と語る友人に、老人は、
「この十二則は、人間関係にも応用可能だよ」
と言って、友人の日頃の人間関係に引き寄せながら、陶朱公の十二則について詳しく解釈をしてくれたそうです。
その内容が結構面白かったので、メモしておきました。走り書きなので、あまり正確ではありませんが、老人の言葉もそれっぽくしつつ、ご紹介したいと思います。
1.能識人 人を見分けること
世の中にあるコミュニケーション術が役に立たない理由は、どんな相手にも、同じ方法で対応できる、と教えることにあります。
相手次第。相手が何を喜び、何に感動し、何がコンプレックスで、どんな話をすればいいのか……まず、相手を観察して、分類することが必要だといいます。
「誰にでも同じ方法が通用すると思ってはだめだ。自分をしっかりと持っていないといけないけれども、同じように、相手にだって相手なりの人生があり、その中ではぐくんだ価値観があるんだ。それが何なのかわからないと、相手を大切にすることだってできないだろ?」と友人は老華僑から諭されたそうです。英語だったので、ほんとにそう言われたのかどうかあまり自信がないとのことなので、そこら辺の解釈は皆さんにお任せします(笑)。
さて、相手を分類した後、どうするのか。相手に応じて対応をうまく変えることができる、器用な人ならば何も問題はありませんが、そこまで器用な人ならばこの先を読む必要はありません。
2.能接納 礼儀正しく穏やかに人に接すること
礼儀とは、難しく考えなくてもいいのです。相手が嫌がることはしないこと、それにつきます。
相手がどんな人間か見分けたら、少なくとも、相手が嫌うことはしてはいけません。たとえば、30代以上の女性には、年齢の話をしないこと。子供がなかなかできない相手に、子供の話はしないこと。出世コースから外れた相手に、人事の話をしないこと……相手のコンプレックスにできるだけ触れずに、スルーすることが必要だといいます。
強気の態度で出れば、相手に好かれる……なんて方法を勧める人がいますけれども、ここでは弱者のコミュニケーション術を述べますので悪しからず。そもそも自分がそれを許されるキャラなのかどうか、把握する必要があるでしょう。
自分にそこまでの自信がないのならば、穏やかな態度を貫くことがベターです。
「誰だって、威張りたいんだよ。だから、世の中にはほっておいても威張るタイプの人間は大勢いるんだ。その中で、穏やかで居続ければ、それだけで好感度は高くなるもんだよ」だそうです。
3.能安業 目移りばかりしてはダメ
ある人と知り合って、仲良くなると、その人のいい面だけでなく悪い面も見えてきます。その時に、すぐにつきあいをやめてはいけないのだそうです。
「嫌な人間こそ、寂しいもんだ。絶対に許せないような相手、あるいは自分に害のある相手ならともかく、そうではなく、話が面白くないとか、馬鹿なことばかり話している程度の人間ならば、友人関係を切る必要はない。つかずはなれず、人間関係を持続していくことを心がけたほうがいい。いつか役に立つかもしれないし、困ったときに、頼りになると思っていた人間が助けてくれず、疎遠な友人が助けてくれるなんてこともよくある。人間関係がうまく続かない人の特徴は、面倒だと思った相手との関係をムダに遮断しようとするところだ」4.能整頓 整理、整頓を心がけること
そもそも嫌な人間が寄ってくるのは、自分にも責任があるのだそうです。そういう人の特徴は、とにかくだらしがない、ということ。身の回りがだらしないと、つけこまれやすくなるのだそうです。
「悪い仲間と知り合って身を持ち崩す人が多いのは、その生活が乱れているからだ。あなた(友人)に私が話しかけたのは、あなたの身なりがしっかりしていたから。この青年と知り合いになっても間違いはないだろうと考えたからだ。逆にあなたの着こなしが崩れていたら、私は話しかけなかった。当然、それに引き寄せられるような人間しか話しかけてこないだろう」以下、明日に続きます。
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