㊱ 手形のインフレはなすまじきこと
財政の破綻はインフレーションから。商人の失敗は不渡手形の乱発から。「結婚したらこうしよう」「結婚したらあれをしよう」
恋愛においても、恋人を喜ばせるために、結婚してからのことについて余りにも多くの約束をするのは失敗の因である。
決してそれが心にもない嘘を云ったわけではないにしても、いざ結婚してみると、なかなか思ったやうにならないのが常である。
毎週一回づつ温泉に行こうと約束しても、それがどうして一年に一回も実行できないことになる。
その結果は「騙された」の「裏切られた」のと云う騒ぎになる。
だから、恋愛時代には不渡手形を乱発して、余りに大きな期待を持たせぬがよい。
などと約束していながら、結婚後に男がその約束を果たさないことは往々にしてあります。男は女に甘えて、
(俺が忙しいこと、分かってくれるよな?)
と思うのに対して、女は、
「裏切られた……」
と感じるものなので、ご注意ください。
結婚したら子供を育てなければなりません。自分だけではなく家族を食わせていかねくてはなりません。子育てをする人は、時間に不自由を感じるでしょうし、仕事をする人は、決してクビにならないように、人間関係に神経をすり減らしながら働くことになります。どちらにしても精神衛生上は大変つらく、余裕がなくなりまして、だんだんと結婚前の甘い約束を守るのは困難になります。
ですから、結婚前に困難な現実を迎える可能性を先に示唆しておくくらいの方がいいのです。
㊲ 人形を愛する勿れ
人形のやうな可愛がりかたをするならば、愛される方でも物足りないものだ。愛しても反応の薄い人っていますよね。
愛する方でもやはり物足りない。永い間には寂寞を感じはじめる。
こつちで愛するだけのものを愛し返すことの出来る恋人を選べ。
その張り合いがあつてこそ夫婦の愛は永つづきするのである。
妄想力のある人ならば、
「あの人、何も言わないけれども私のことが好きだと私には分かる。ウフフ」
などと想像して楽しむことも出来ますが、一般的には無表情で無口で無反応な人間を相手にするのは、だんだんと嫌になるものです。
欧米人やアフリカ人のように、大袈裟な愛情表現を行われて嫌だと思う人は少ないもの。
「愛している」
と思い切って伝えることは大切です。
㊳ 容色自慢の人をもつな
どうせ恋人とするからには、少しでも美しい人がよい。美人やイケメンの中には、自分の容色が老いて衰えることに病的に抗う人がいます。整形を重ねること数百回という猛者もいます。一種の病気なので、敬してこれを退けましょう。
だがその美を意識して鼻にかけるような人を恋人にもつな。
また決してその美を意識させるようなお世辞も云うべきではない。
はじめのうちは成功しそうに見えた恋愛が、次第に結果がよくなくなっていく原因も、その辺に根ざしていることが往々にあるのだ。
恋愛の妙味は人間味のうちにあるので、決して美の中にあるのではないのだから。
㊴ 文化的な恋人は避けたきこと
勿論時代おくれの恋人も困るが、余りに文化的な人を恋してはならない。これは、浪費グセのある人を避けよ、ということですね。
一枚三十何銭の座布団ですむところをテーブルと椅子のセットの一組何十何円也のものでなければいけないことになり、郊外の野原をぶらぶら散歩するなんてことは退屈だから銀座へお茶を飲みに行こうと云うことになる。
万事がこの調子だと、単に金がかかってやり切ないと云うようなことばかりではなく、こうした上面ばかりの浮つ調子の文化の中に、生活の真実味を解消してしまうやうな結果になって、一生浮かばれないことになる。
浪費する人は、それを浪費とは思わず必要経費だと堅く信じて聞く耳を持ちません。稼げども稼げども、たまらない財産。やがて老いゆくこの私。気をつけましょう。
㊵ 趣味に取り入る恋は曲者
音楽がお好きですか、それともハイキングですかと、相手の趣味に探りを入れて、自分も同じ趣味であるかのやうに見せかけるのは、恋愛技巧家の常套手段だ。恋愛とはかけ離れた話ではありますが、大久保利通が島津久光に取りいるために、囲碁を習ったという故事を思い出しました。
とかく同じ趣味からは恋愛に入り易いからだ。
しかし、趣味から入った恋愛は、結婚生活の地味な苦労に耐え難く、そこでたちまち破れやすい。
まして、付焼刃の趣味を利用して恋人に取り入ろうとするやうな人は、敬遠しておくのが安全第一だ。
権力のない者が権力者に取りいるために趣味を身につける、という美談ではありますが、取り入られた久光は好きなものをけがされたように感じて不快感でいっぱいになったことでしょう。それでも大久保を側近にした久光は、立派でした。
しかし、すべての人間が島津久光のような人格者だとは限りません。
㊶ 卑劣な手段を恥じざる恋を許すまじきこと
目的のためには手段を選ばずと云うことは恋愛の場合には真理ではない。ここ、原文では第四十條となっていまして、番号が重複しています。そこで、このブログでは番号を振り直しました。原文とは、これ以降1つずつ番号がずれていっていますので、ご留意ください。
その手段によって、その人柄がおのずとわかるもの。
途中に待ち受けて話しかけたり、時ならぬに恋人の居間に侵入したり、または所謂「つけ文」をしたりするやうな非常手段をとる人に、熱心の余りだと同情すると馬鹿な目を見る。
恋愛のためにどんな手段をも恥とせぬやうな人物は、他の場合にもまた手段を選ばぬ恐る可き人物である。
さて、
>>恋愛のためにどんな手段をも恥とせぬやうな人物は、他の場合にもまた手段を選ばぬ恐る可き人物である
のは果たしていけないことなのか。
無論、
>>時ならぬに恋人の居間に侵入したり
するような人間はストーカー、論外ですが、道の途中で待ち受けたりラブレターを書いたりするほど情熱のある人間は、仕事にだって熱心に取り組むものです。仕事において目的を遂行するために手段を選ばないような人物は「できる男」として活躍するでしょう。
ここの条文は、著者の好みであり、現実の「よい結婚相手」とはずれているような気がします。
㊷ 世間体を気にしすぎる恋人を選ぶまじきこと
父が便所掃除人夫をしているのに市の衛生課の役人ですと云ったり、大學の小使をしているのに、研究室に出ていますと云ったりするやうな人を恋人に持ったら、一生涯の不覚だ。自分のキャリアを嘘で固める人、いますよね。
何事も世間体世間体で、いつも嘘と誤魔化しで固めた紋付袴でびくびくと世間を渡らなければならない。およそ朗らかさとは縁のない生活だ。
なんだかんだと言っても、世間は虚仮。事実だろうが嘘だろうが、表面しか見られないものですから、自分を飾るのはそれはそれで世間でいい思いをする上で、正しい戦略。ただし長い付き合いになると、虚飾は剥げます。そして見透かされ、バカにされることになります。結婚しても、相手に真の姿を見せずに生活することは困難です。
それでは、明日一日は別のテーマで記事を書きまして、このテーマの続きは明後日となります。明後日で最後です。
いやぁ、疲れた。
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