彼はアナウンサーとしても有名だったが、『気くばりのすすめ』という本を書いて大ベストセラーとなり、作家としての地位も確立した。一放送局のアナウンサーの本が400万部以上売れるというのは、今の時代には信じられない話だろう。
「鈴木の本は必ず売れる」
という評判を得たため、様々な出版社から類書が次々に出るようになった。
なにしろ彼の座右の銘が、
「多くの人は日記を書く、それならば私は原稿を書く」
というものだったから、原稿を書くのは全く苦ではなかったようだ。数多くの著書をものにしてきて、100冊は雄に超えるのではないか。
そのほとんどは自己啓発書のようなものであったが、いくら博覧強記の人とはいえ、次第に内容が似かよったものになってきたのは、仕方がなかったといえる。
もっとも重複しているのは、彼にとって思い入れのある内容だったから重複していたともいえるのだが、その中でもどの本にも必ず書いていたことの一つに、
「自分の尊敬する人」
についての記述があった。
「私の尊敬する人は二人いる。一人はドイツのシュバイツァー博士、もう一人は架空の人物シラノ・ド・ベルジュラック」
という、アナウンサーの名調子そのままで、いかにこの2人が素晴らしいか、子供の頃に読んだ彼らの物語がどれだけ鈴木少年の心を揺さぶったのかを、事細かに描き出すのだ。
……ところが鈴木氏が定年を過ぎた頃から、シュバイツァー博士のアフリカでの評判が決して芳しいものではないことが、日本でも知られるようになってきた。
Wikipediaには次のような記載がある。
日本の児童文学者寺村輝夫が伝記『アフリカのシュバイツァー』で記しているように、実はアフリカ現地での評判は決してよいものではない。シュバイツァーの悪評が世に知られるようになった後に出版された、著書の中の鈴木氏の狼狽ぶりは大変なものだった。現代は、偶像否定があまりに度を越している、人々から尊敬されてきた人間を貶めることはもう止めてほしい、ということを切々と訴えていたのだ。
自らの神学思想を現地の文化より優先し、また同時代の知識人たちの大半と同様に白人優位主義者の側面を持っていたことも事実である。現に、シュヴァイツァーは「人類皆兄弟」の標語を唱えながらも、あくまで白人を兄、黒人を弟として扱っていたため、アフリカの一部の保守階層を中心に、ヨーロッパの列強の帝国主義・侵略戦争・植民地支配のシンボルと見なしている者も少なくない。
哀れに思うと同時に、
「著書の中で散々旧世代を否定してきたあんたが、時代に復讐されたんじゃないのか?」
と思ってやや鼻しらむ思いがしたものだ。
とはいえ、長年尊敬してきた人間の醜聞を聞くのは悲しい。しかし、偶像をそのままにするよりも、真実を明らかにすることは、より現実に根ざした社会をつくり上げるために必要な行為だ。
所詮人間は、それほど聖人君子ではいられない。いや、聖人君子として名を売っている人の多くが、マーケティング戦略のために、そのような仮面をかぶっていることが多い。そのことを明らかにしていく人々の営為によって、虚飾に惑わされた人々が、他人のものではない自分自身の人生を歩みはじめるよすがとなる。
★ Was Mother Teresa actually sort of a jerk?
敬愛されてきた修道女が、思われていたほどは貧しい人々のために役立っていなかったという新しい研究が発表された。このニュースに対する人々の反応は様々だ。反発する人、攻撃する人、そして現実を受け入れようとする人、あるいはこれが何の問題があるのだろうと開き直る人々……。
カトリック教会がマザー・テレサを、長年の間待ち望まれていた聖人として正式に承認する可能性は高い。
しかし、宗教的研究誌『修道女』に掲載された新しい研究によれば、昨今のマザー・テレサの高い評判は、人気低迷に苦しむ教会がそのイメージを刷新しようとしたほとんど誇大広告に等しいものである、というものだった。
マザー・テレサの最大の罪とはなにか? 『タイムズ・オブ・インディア』によれば、それは、
「病人の苦しみを癒す代わりに、彼らが苦しむことを祝福して世話をする、といういかがわしい方法」
だという。
研究者たちはどのようにして、この物議を醸す結論にいたったのか? カナダの研究者のチームが約300もの資料を調べたところ、資金は不足していないにも関わらず、「死を待つ人々の家」のようなマザー・テレサの517の場所で、衛生基準が劣悪で、医薬品や物資、治療が足りていなかったことが報告されたのだ。この告発によれば、彼女の所属する組織である「神の愛の宣教者会」は寄付によって何百万ドルもの金額を受け取っていたにも関わらず、である。
(中略)
また、論争の的となっているこの報告では、バチカンがテレサの聖人認定を人気回復の手段のために、カトリック当局が列福を後押しし、彼女の「奇跡」を否定する証拠を無視しているとも指摘している。
こうした扇情的ともとれる発見が記されているにも関わらず、研究者たちは、マザー・テレサを汚すつもりはないと主張し、「彼女が、貧困に苦しんでいる人々を真に救い、貧困や孤独の原因を解決しようと活動している多くの人道主義者たちに影響を与えてきたことのようなこと」にも触れている。しかし「メディアのマザー・テレサに関する報道はもう少し正確であるべきだ」とも訴えている。(後略)
私は後者で、彼女の考え方は一つの価値観として尊重されるべきだし、彼女がいなければもっと悲惨な目にあってきた人々が、それよりは、はるかにマシな状態で死を迎えられるようになったのだからいいではないか……と思うのだが?
"本当の利他主義は、賞賛を求めないためにほとんど気づかれない"
"貧乏人の役に立つ人で、世間で言われているほどもっともらしい人は誰もいないね"
"彼女はだらしのない経営者だった可能性がある。彼女が大豪邸に住んでいなかったことはみんな知ってる。それに86歳で亡くなるまでほとんど毎日働いていた。もしも私が80年代にいたとして、インドの医療問題を解決できただろうか?"
"彼女が亡くなってどのくらい経つのだろう? 生き返って欲しいと思う? 最近他人のために何をした?"
"それじゃこれからは、マザー・テレサをののしることになるわけ?"
"彼女は世間知らずだったのかもしれない。"
"皮肉にも、「主流」メディアが、死んだ独裁者のチャベスを持ち上げて(別のYahoo!記事に、そのような記載あり)、マザー・テレサの思い出を攻撃する日がやってくるなんて誰が思っただろうか?"
"Yahoo!の何が問題か? チャベスを持ち上げ、政治家ジョン・ケリーを称賛する記事を書き、マザー・テレサは愚かな人間だったという物語を広めるところ。Yahoo!はあらゆるものを曖昧にすることが目的なの?"
"豊かな国で何かする上では、ワイロがつきものということを、彼らが選んだ結論じゃないの?"
"これからマザー・テレサをほんの少し悪く描こう。何も言うことはない。どんなことでもいいんだ"
"ロイターの次の記事では、オサマ・ビン・ラディンが子供と子犬にどれだけ優しかったかを書くんじゃないの?"
"おいおい、マザー・テレサを攻撃しているよ? だれでもいいのか?"
"マザー・テレサが助けた人々は道端に捨てられて死んでいくはずだったんだよ。彼女に苦しみを取り去るために何が出来たと言うんだ? ほとんど死にかけた人々にとって、彼女は文字通り「人のぬくもり」だったんだ。「本当の」人生ではほとんどの人が味わったことのない優しさだったんだ"
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