2013年3月23日土曜日
同情すれども共感できず
2013年1月16日、アルジェリア人質拘束事件が起こり、日揮という会社の社員である日本人10人が死亡した。
死亡者の実名を公表するべきか否かで、マスコミは遺族と揉めた。朝日新聞記者が遺族から「公表しない」という約束で死亡者全員のリストを入手して、遺族の了承を得ずに発表するという詐欺じみた行為を行なったために、新聞社は大きく批判された。
なぜ実名報道が必要だったのか? その理由を、毎日新聞記者などが数名、公表しているのだけれども、「一人の人生を記録し、ともに悲しみ、ともに泣くため」「弔いのため」「日本人全体で考えなければならない事件なのに、匿名では国民の共感を得られないから」などといった曖昧模糊としたことばかり書いているために、逆に人々の怒りの火に油を注ぐ状態になって、ネットではいわゆる「炎上」状態になった。
彼らはなぜ、人々が共感できる意見を公表できなかったのか。彼らマスコミの中の人のことを想像しようとするとき、学生時代にお邪魔した、ある新聞記者のお宅のことを思い出す。
家庭教師のアルバイトの面接のために、ある夏の日に私は、学生支援センターに来ていた求人票をもとに、新聞記者の自宅をお邪魔した。
驚いたのは、贅を尽くした部屋の内装だ。道路に面している部分はさほど広くない一軒家だったのに、中に入ると奥までが深く、外側からは想像できないほど広々としていた。芝生の敷かれた中庭に向けて大きく窓が開口している。
リビングにはだだっ広いテーブルがあり、その上には巨大な銀の燭台が置かれていた。お昼時なので、ロウソクに火は灯されていない。これほど大きな、腕の太さほどもある本格的な銀の燭台を見たのは、テレビドラマ『レ・ミゼラブル』(1978年製)を観て以来だった。
上品な奥様と、かわいい娘がそこにいた。父親である記者は、インドネシアへ出張中だという。
「うちは出世とは縁がなくて貧しいものですから、部屋の中を見せますのは大変恥ずかしいのですが……」
などと謙遜する奥様の感覚に呆気にとられた。
上智大学の帰国子女枠の英語小論文入試対策を求める女子生徒の要求に応えられる自信がなかっために、家庭教師を断ったが、会話は弾み、楽しいひと時を過ごした。お嬢さんからは将来の夢について聞いた。大学を卒業して新聞記者になるのが夢、だという。
「親子2代の新聞記者、お父さんも嬉しいだろうね」
と私は笑って答えた。
ただ、私は心のなかでは別のことを考えていた。新聞記者はバカバカしいほど恵まれている。
社会的に高い地位にあり、滅多にクビになることはなく、筆によって世論を動かし、社会を大きく変革できるという生き甲斐を彼らは持っているはずだ。それは分かっていた。だかその上、これほどの生活ができるほど給料が高いとはね。現代社会で、新聞記者やテレビ局の報道関係者は特権階級だ。
でも、彼女の父や将来の彼女は、貧者や弱者へ同情しながら取材することはできても、共感することができるのだろうか?
冒頭の、アルジェリア人質拘束事件に話を戻そう。実名報道の結果分かったのは、殺された日揮の社員10人のうちのほとんどが派遣社員だったという事実だ。日揮の正社員よりも派遣社員の給料は高かったのだろうか? そんなことはあるまい。
とすると、一番危険な場所で働いているのは派遣社員で、本社で安全に過ごしているのが正社員ということになる。一番不安定で給料も安い立場の人間が、故郷から遠く隔たった土地で殺されるという不条理に怒りを覚えるのが普通ではないか? そして、それが今の日本の日常になっていることに、さらに腹が立たないのか?
……新聞記者たちがそのような論説をはることはなかったように思う。それを指摘するのならば、同じく新聞社内で働いている派遣社員はどうなんだ、ということになる。弱者の境遇に同情しても、その立場に立ったことがないならば共感はできない。だから怒りが湧いてこない。
その上、今や新聞社の社内構造自体が、批判すべき対象の矛盾を具現化した存在だ。たとえば高齢者を優遇して若者を阻害する社会を批判したくとも、新聞社自体が多数の高齢者によって支配されているから筆は自ずと鈍くなる。
日本の矛盾を批判することが内部批判と受け止められかねない、それが日常茶飯事となっているだろう。そして、共感から出発したはらわたからの怒りは湧き出てこないから、それを突破する情熱もない。
結果、報道の自由の根拠として述べる理念が、人々の共感を誘うようなものではなく、漠然とした当たり障りのないことばかりとなる。
昔は、新聞記者といえば、弱者の立場にたって権力者と戦う正義の味方、というイメージが、まだしもあったように思う。
あれは……戦争の影響だったのかもしれない。
太平洋戦争後すぐには、日本人はみんな、貧しかった。なにしろ裁判官が物資不足で餓死していた時代だ。三菱の社員が食料買い出しのために田舎へ着物を抱えて汽車に乗って遠路を何往復もしていたのだ。誰もが飢えと隣り合わせで生きていた。だから戦後すぐの世代は、みなが同じつらい記憶を共有していた。
だが、25年で1世代とするならば、戦後70年が経った今は3世代目となっている。
貧しかったときの記憶がなく、貧しいことがどれだけ惨めなものなのか、教えてくれる親もいない、3代目が、今の新聞社、マスコミに大勢、巣食っている。
今のマスコミ側の人間の価値観に最も近いのは、取材対象であり、監視対象であるはずの権力者たちだろう。そんな彼らに、弱者に共感して、社会の矛盾を暴き出そうという怒りが湧いてくるだろうか?
だから、マスコミが世間から叩かれる、という逆転現象が起こるのだ。そもそも市民感覚があれば、市民の反発を招いたり炎上事件を起こしたりするはずがない。ある程度の常識があれば、防げる事件ばかりだ。多数派の市民感情を汲み取るべきマスコミの人間が炎上事件の的となるのは大変恥ずかしいことだと思うべきなのに、マスコミにその自覚はないだろう。
弱者の味方のふりをして記事を書こうとしても、ピントがずれた記事しか書けない。何のために報道しているのかを説明もできない。事実を暴きだしてもそこにどんな問題が潜んでいるのかも指摘できない。
そして、指摘できたとしても、強者である自分のクビを締めることになるのでそれ以上の報道をすることができない。それが今の大新聞の記者たちなのだろう。
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