2013年3月9日土曜日

イジることは愛情じゃない

愛情表現がまだ下手な小学生くらいの男子がよくやる過ちに、
「好きな女の子を思わずいじめてしまう」
ことがありますね。

その子が好きなのに、それを素直に表現することができません。一番気になるのが周りの目、でしょうか。友達にそのことがバレて、
「お前、◯◯のこと好きなんだろ! けっこん! けっこん!」
などとはやし立てられたら……と考えただけで、恥ずかしくて死にそうになります。でも、その子のことが気になってしょうがありません。自分のことを考えていてほしい、自分を振り向いてほしい、でも、好きだとは周囲にばれたくない。

そんな葛藤の末、取る行動が彼女をいじめてしまうという謎の行動です。小学校2年生の頃に好きな子がいた私の場合、彼女を好きだということを口に出せずに、彼女の机の引き出しに、口に含んだ水をみんなの前で吐き出す、という突飛な行動をとってしまいました。彼女は泣いていました。あのときの彼女は、まだ私のことを覚えているのでしょうか? そして、私のことを許してくれたでしょうか……。

子どもたちは、恋愛や性に大して妙に潔癖なものです。何故でしょうね?

もしかすると、思春期前の子供が、充分に身体が発育する前に性行為を行わないようにするための、本能的な自衛行動なのかもしれません。

そこからの延長でしょう。好きな人のことを「いじる」という愛情表現を、社会人になっても見せる人々がいます。

・好きだからこそ、からかう
・好きだからこそ、文句を言う
・好きだからこそ、怒鳴る

それの行き着く先は「好きだからこそ、殺してしまう」という阿部サダじみた猟奇殺人犯なのですが、
阿部定事件(あべさだじけん)は、仲居であった阿部定が1936年5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。事件の猟奇性ゆえに、事件発覚後及び阿部定逮捕(同年5月20日)後に号外が出されるなど、当時の庶民の興味を強く惹いた事件である。
それは極端にしても、歪んだ愛情表現を当然だと思っている人々は、今になっても多いものです。この記事を読んで「あるある」と思わず頷いてしまった人、多いのではないでしょうか。
ここでやっぱり一番問題なのは、イジってる側は愛情表現しているつもり、イジられる側はけなされてると感じて落ち込む、この食い違いだと思うのです。
そもそも「けなすことで愛情表現」というのが狂ってるように私には感じられるのですが、これは男友達のような奴に限らず、実は一部の女にも見られる行動。
人間には「支配欲」というものがありますから、けなすことで相手を困らせ、支配下に置いて優越感に浸りたい、という欲求を持つ人も多いのかもしれません。

この手の勘違いをしている人は、社会にたくさんいます。特に関西系の芸人に多いですよね。罵倒されたり頭を叩かれたりして泣きだしたタレントに、
「イジられることはおいしいんだ、と思わないといけない」
と芸人が説教する姿が、よくテレビで放送されませんか? 特にダウンタウンの浜田当たりがよくそれを言います。ダウンタウンに関わる人間に、この手の説教をする芸人、多いですね。

あれを観るたびに、私は苦虫を噛み潰したような不快感が腹の中に広がります。お仕着せがましい説教に、うんざりします。なぜ思ってもいないことを思えと強制されるのか。納得出来ない感情を押しつけられるのか。それは思想の自由の侵害だろ。なぜ大げさに言えば憲法違反になるようなことを公共の場で、堂々とこいつらは主張しているのか、とね。

「からかわれることは、大変不愉快なことだと思う。でも、そのことによって世間の同情が集まれば、あなたの人気も上がる。メリットとデメリットを比較して、メリットがあると思えばそれを利用すればいい」
という、こちらの気持ちに共感した上でのアドバイスならまだ分かるんですよ。イジられることは嫌なことだという共通認識が、そこにはありますから。

昨今ではよくサドだ、マゾだと言って人間を嗜虐と被虐の関係性に落としこみ、どちらかにカテゴライズしようとするのが流行りですが(これを言い始めたのもダウンタウンでしたね)、勘弁してほしいものです。

ちなみに、阿部定事件。満佐喜(まさき)という待合(今のラブホテル)のあった場所は、現在の東京都荒川区西尾久2丁目7辺りなので、お近くの方は散歩がてら周囲を散策するのもいいかもしれません。

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