2013年5月30日木曜日

ソクラテスと福沢諭吉

哲学の祖といわれるソクラテスは、その言説が若者を惑わすという理由で裁判にかけられた結果、死刑宣告を受けました。

しかし、その宣告が理不尽であることは、多くの人々にとって明白でした。判決後には、牢番の見張りも緩く、幾人もの人が面会に訪れては、ソクラテスをこっそりと逃がそうとしたそうです。ところがソクラテスは誘いを断ります。

彼にとって国家とは父のようなものであり、法律は父が子へ命令するようなもの。父を大切に思うのならば、その命令を無視することはできない、というのがソクラテスの考えでした。国家の一員として国家に保護される以上、様々な義務が生じるのに、その義務を行わずに権利だけを教授することは出来ない、という彼の矜持がそこにありました。

このことを最初に知ったときは、随分ソクラテスも頑固だな、と考えましたが、社会に出てみますと、国家などという実体があるわけではなく、構成員一人一人の自覚の果てにしか国家を守ることができないことや、この一人一人の自覚がないために、全体が不幸である国が大変多いことも知るようになります。むしろ、当代一の知識人にあれほどの頑固さをもたせられたからこそ、ギリシャは繁栄を謳歌したのだと考えるようになったのです。

そこで、国を愛するのならば、ソクラテスのように死ぬことはできなくとも、せめて、ソクラテスの行為を称賛する側でいたいものだと思うようになりました。

ソクラテスと似たことを、我が国の福沢諭吉もまた、述べていたことを、最近知りました。小林秀雄の『考えるヒント』(文春文庫)によれば、明治維新の際に、官軍が京都から東征し、今の静岡県にある富士川を越えようとしていたときのこと。

彼らの目的地は、江戸です。江戸に住む旧幕臣の恐れようは並大抵ではありませんでした。敗軍がどのような目に遭うかは、歴史が物語っています。ときには一族郎党皆殺しの目に遭うかもしれません。徳川幕府は、その手の残虐な行為が比較的少なかったため、それほどの恨みは持たれていないはずですが、予断は許しません。

官軍によって処刑されるのを恐れた幕臣たちの中には、外国大使館、領事館に縁のあるものを頼って、身分証明書を手に入れようとした者も多くいました。諸外国は、官軍に抵抗できる武力を持っています。まるでドイツ軍の魔の手から逃れようとするユダヤ人のようなものです。

幕臣の1人である福沢諭吉や、幕臣の師弟も多かった慶應義塾の学生たちには、米国大使館から身分証明書発行の打診があったのだそうです。福沢諭吉は万延元年遣米使節の一員として渡米しており、帰国後も米国大使館と親密な関係を保っていたのが功を奏したのでしょう。

ところが、福沢諭吉はそれを拒否します。その時の言葉が痛快です。
 米大使の深切は実に感謝に堪へずと雖も、抑も今回の戦乱は我日本国の内事にして外人の知る所に非ず。吾々は紛れもなき日本国民にして禍福共に国の時運に一任するこそ本意なれ、東下の官軍或は乱暴ならんなれども、唯是れ日本国人の乱暴のみ。吾々は仮令ひ誤ちて白刃の下に斃るることあるも、苟も外国人の庇護を被りて内乱の災を免れんとする者に非ず、西洋文明の輸入は吾々の本願にして、彼を学び彼を慕ひ畢竟他事なしと雖も、学問は学問なり、立国は立国なり、決して之を混淆す可からず。
この時の福沢の矜持は、ソクラテスのものと同じように思えます。西洋と東洋、2つの文明の時代も異なる2人の偉人が、生命の危険にさらされながら、同じような覚悟を決めたという点に大変興味深いものを覚えました。

私たちを守る国家というものを、ややもすると軽んじがちな風潮が昨今見受けられますけれども、その風潮の行きつくさきに待つものは、遵法意識の軽視であり、治安の悪化であり、そして弱者を強者が食い物にする弱肉強食の世界です。

そうさせないためにも、東西の偉人が覚悟したように、国家の意思を尊重しようという強い意志が、私たち一人一人に必要なのでしょう。


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