2013年5月8日水曜日

禅とイマジン 下

昨日、ハーバード大学の研究者が、脳卒中という病気で左脳機能が停止し、その時に禅でいうところの悟りの境地へたどり着いたという事実を紹介しました。

脳疾患によって、修行もなくその境地に到達できるということは、そもそも誰もが到達しうる境地であることを示唆しています。一部の人間に許された特別な境地ではなく、万人に開かれ、誰もが経験し、そして、確実にあるものなのです。
初め、自分の内部に言葉のない世界が大きく広がっていることを知って衝撃を受けました。しかしすぐに、私の周りに広がる素晴らしいエネルギーに魅了されました。自分の身体と世界との間の境界を認識することができず、自分が巨大になり、宇宙と一体化していき、すべてのエネルギーと一つに結ばれていることを感じたのです。とても美しい経験でした。
民族であるとか、人種であるなどの様々なこだわりから解放され、世界とダイレクトにつながることがいかに素晴らしいことか。涙を浮かべながら、彼女は訴えます。

彼女がいたった境地を聞いた時に私が思い浮かべたのは、ジョン・レノンが歌う「イマジン」でした。
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
世界が一つのものであり、過去の延長上に今があるのではなく、今は今であり、人種や民族、階級や年齢などによって人々が差別されない世界……これは、ジル・ボルト・テイラーの左脳機能が停止した時にもたらされた、右脳的思考にあまりにも似ていないでしょうか。

彼らが描く理想の境地は、空想的社会主義者やアナーキスト、革新と呼ばれる人々の考え方と合い通じます。ジョン・レノンがイマジンを構想したのも、革新主義者との交流の中でした。

一方、左脳のもたらす、ものごとを厳密に区分し、過去を大切にし、未来のために何をするべきかを考え、刹那的な思想を軽蔑するというあり方は、保守思想ですね。

面白いものです。それぞれ、左翼と右翼と呼ばれることもあります。革新と保守とは、常に議論が対立しがちです。

2つの間の差異が明確に認識されるようになったのは、フランス革命がきっかけでした。革新的主張をする一派が、議長席から見て左側に、保守的思想を持つ一派が、議長席から見て右側に陣取ってから、左翼と右翼の区別は生まれました。

ところがその根源に人間の脳の差異があるのだとしたら、これは人類がもって生まれた宿痾だと言えるのかもしれません。

そして、それが人類共通の宿痾ならば、右翼、左翼と呼称される以前から、革新勢力と保守勢力とは、歴史の中で、常に相争っていたのだといえそうです。

左翼と呼ばれる思想が右脳のもたらすものであり、右翼と呼ばれる思想が左脳のもたらすもの、といのは、言葉からすれば逆のように思えますが、そうともいえません。フランスの国民議会で、議長席から見て左側の席に座った人々が左翼と呼ばれたそうですが、そもそも座っている人々からすれば、自分たちは議会の右側に座っているという認識のはずです。むしろ脳の位置と同じ場所に、それぞれが座っていたことになります。

そう考えますと、脳科学者・ジル・ボルト・テイラーの語る境地を完全なる理想郷と信じるのは、少し躊躇してしまいます。革新と呼ばれる人々の描く理想は美しく、魅力あふれるものですが、現実と相違しているために、人類の歴史に多大で深刻な爪痕をいくつも残してきたのを、私たちは知っているからです。

禅が示す悟りの境地、ジョン・レノンの「イマジン」が描く理想の世界、どちらも素晴らしいものであり、目標として思い描く境地ではあっても、現実を切り開くこととは別だと思った方がいいのかもしれません。

ジル・ボルト・テイラーは、右脳のみがもたらす幸福感に酔いしれてはいたものの、右脳だけでは病院に行くことや、友人に意思を伝えることが困難で、あと少しで彼女の生命は失われるところでした。それは、右脳の限界を示しているようにも思えます。現実を切り開くのは左脳の力です。それは、革新と保守、それぞれのあり方を示しているようにも思えます。

右脳と左脳のどちらもセットで人間の脳であるのだとしたならば、そのどちらに偏るのも、不自然なことなのでしょう。どちらともバランスを取りながら生きていく必要が有るということです。

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