★ スウェーデン暴動の根底にあるもの(下)
ストックホルム郊外で大規模な暴動が発生し、同様の動きが全スウェーデンのいわゆる「移民コミュニティ」に飛び火した。そして現在、国内で大きく議論されていることは「我々の移民統合政策は、失敗だったのか」だ。これは、移民による事件が起きるたびにくり返される議論でもある。理想の追求が、国家を苦しめる。社会主義国と似たような失敗を、世界で最も進んだ国であるスウェーデンもまた犯してしまった。
そして結論的には、「やはり移民統合政策は、失敗だったのだ」という論調が多い。移民統合政策とは、出自にかかわらず社会の成員全員が公平・平等に権利と義務を負う社会を構築することだ。
似たような問題が、移民政策を進めた欧州各地や北米で、これから頻発していくのだろう。増えた移民が移民先の文化に同化せずに国内が複雑な民族のモザイクへと変わるならば、これは欧州全域がバルカン半島のような状況になることじゃないか……と考えつつGoogleで調べたら、2009年に「Newsweek」が似たような問題提起をしていた。
バルカン半島はヨーロッパの南東部に属する。ギリシャ、ブルガリア、旧ユーゴスラビアなどの様々な国家がそこにある。この半島の別名は「ヨーロッパの火薬庫」。なぜなら近代になって民族国家の概念がこの地にもたらされると、民族がモザイク状に入り混じったこの地は紛争の一大拠点となったからだ。
古代から様々な民族が入り込む一方、東ローマ帝国・オスマン帝国・オーストリア・ハンガリー帝国といった多民族国家の時代が長かったことから諸民族が混在していた。多民族国家では、それぞれの民族が等しく尊重されることはない。民族内ではある程度同じ価値体系を共有しているが、民族によってはそれが大きく異なる。
このため、西欧から単一民族による国民国家の概念がもたらされると、たちまち諸民族同士の争いが勃発し、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれることになる。第一次世界大戦勃発の原因はバルカン半島の民族問題にあり、1990年代以降にユーゴスラビア紛争が発生し、紛争が終わった後も宗教・民族問題を多く抱えている。
ある民族が指導者として優秀な人材を多く排出すると、いくら気をつけても、その民族に偏った価値体系をもとにした国家運営が成される。それは異民族にとって、居心地のいい場所ではない。
それを解決するための国民国家だったのだけれども、不満は解消されても国家間の紛争が多発してしまい、2度の世界大戦でヨーロッパは大きな傷を得た。その反省から国家統合という実験がこの地で行なわれのだが、結局のところ、東ローマ帝国・オスマン帝国・オーストリア・ハンガリー帝国といった多民族国家を再構築するようなもので、同じような不満が蓄積しつつあるのはバカバカしい話だ。
国境が意味を持たなくなり、移民が各国へと散らばっていく。
移民した人々に求められるのは、その国の中心を担う民族が嫌う仕事へ従事することだ。給料も安い。貧しい人々は身を寄せ合って生きなければ、生きていくことができない。こうして、その国の文化に同化できない民族集団が各地に作られていく。これじゃ、将来の民族紛争の種をせっせと作っているようなものだ。
移民政策が、移動の自由や基本的人権の尊重という美名のもとに推し進めれているけれども、歴史に責任を持たない資産家たちが、安くて自由になる労働力を求めて彼らを呼び寄せる口実にされているだけなんじゃないか。例えばホリエモンとか、ユニクロの柳井社長とかの発言を思い浮かべればいい。
それに同調して今の自分だけの幸福を追求するのも一興だが、そうはしたくない。欧州の惨状を見ながらそれでも移民を増やす政策を声高に叫ぶのは、悪魔に魂を売り渡した資産家の醜悪な姿だ。それに政治家たちが安直に同意を示して、世の中はますます悪くなる。
「踊る大捜査線」という番組の名セリフに、
「事件は会議室で起こってるんじゃない。現場で起きてるんだ」
というものがある。大勢の人々が青島刑事に共感したのは上層部の現場無知がいたるところで見受けられるからだったが、欧州でもそうなのだろう。
欧州以外の地域で、政治的、経済的に困窮しいている人々が大勢いるのは間違いない。彼らが欧州に避難すれば、彼らの命は助かる。人道的観点からは、移民の自由を保障することは肝要だろうが、会議室で決める人々は、母国で食い詰めた教養や常識のない人々と日常的に接することはない。
欧州の都心部ではこれからも移民が増え続け、やがてコソボ共和国のように、移民の国が国の中心部に居座るような羽目に陥るのだろうが、それは百年後の話で、その時には誰も生きていやしまい。
それを解決するための国民国家だったのだけれども、不満は解消されても国家間の紛争が多発してしまい、2度の世界大戦でヨーロッパは大きな傷を得た。その反省から国家統合という実験がこの地で行なわれのだが、結局のところ、東ローマ帝国・オスマン帝国・オーストリア・ハンガリー帝国といった多民族国家を再構築するようなもので、同じような不満が蓄積しつつあるのはバカバカしい話だ。
国境が意味を持たなくなり、移民が各国へと散らばっていく。
移民した人々に求められるのは、その国の中心を担う民族が嫌う仕事へ従事することだ。給料も安い。貧しい人々は身を寄せ合って生きなければ、生きていくことができない。こうして、その国の文化に同化できない民族集団が各地に作られていく。これじゃ、将来の民族紛争の種をせっせと作っているようなものだ。
移民政策が、移動の自由や基本的人権の尊重という美名のもとに推し進めれているけれども、歴史に責任を持たない資産家たちが、安くて自由になる労働力を求めて彼らを呼び寄せる口実にされているだけなんじゃないか。例えばホリエモンとか、ユニクロの柳井社長とかの発言を思い浮かべればいい。
それに同調して今の自分だけの幸福を追求するのも一興だが、そうはしたくない。欧州の惨状を見ながらそれでも移民を増やす政策を声高に叫ぶのは、悪魔に魂を売り渡した資産家の醜悪な姿だ。それに政治家たちが安直に同意を示して、世の中はますます悪くなる。
「踊る大捜査線」という番組の名セリフに、
「事件は会議室で起こってるんじゃない。現場で起きてるんだ」
というものがある。大勢の人々が青島刑事に共感したのは上層部の現場無知がいたるところで見受けられるからだったが、欧州でもそうなのだろう。
欧州以外の地域で、政治的、経済的に困窮しいている人々が大勢いるのは間違いない。彼らが欧州に避難すれば、彼らの命は助かる。人道的観点からは、移民の自由を保障することは肝要だろうが、会議室で決める人々は、母国で食い詰めた教養や常識のない人々と日常的に接することはない。
欧州の都心部ではこれからも移民が増え続け、やがてコソボ共和国のように、移民の国が国の中心部に居座るような羽目に陥るのだろうが、それは百年後の話で、その時には誰も生きていやしまい。
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