小さい頃はうまくいっていたのに、段々と自我が出てくると、子供を褒めると舐められて言うことを聞かなくなったという。
「そこを乗り越えて褒めることが必要」だと思って、何か出来るたびに、
「そこを乗り越えて褒めることが必要」だと思って、何か出来るたびに、
「◯◯くん、すごい!」
「◯◯くん、やったね!」
と言い続けたそうだが、男の子は、だんだんと母親の言うことをうるさがる。
「お母さん、あっちに言って!」
などと生意気を言われ、悲しい思いをしながら、それでもいつか分かってくれるに違いない、いつか良いことがあると思い続けていたが、息子との仲はしっくりといっていなかったという。
ところが、その女性が息子と一緒に宿題の手伝いをしていた。息子が課題をうまく作り上げたので、すかさず、
「すごい! ◯◯くん、すごいよ」
と褒めたところ、ボソッと、
「お母さんの言うスゴイは何がスゴイのか、全然わからない。もう、そういうの止めてよ」
と言われてはっとしたという。
というのは、この女性はその前日にご主人との間で喧嘩をしていて、子供と同じ不満を夫に向けていたからだ。
ご主人のために毎朝ワイシャツにアイロンをかけるなど甲斐甲斐しく世話を毎日していたが、このご主人、ワイシャツを受け取った時に、
「ありがとう」
というばかりで、それ以外の感想を何も言わない人だった。それが、段々と我慢できなくなった。
ある朝、新しくワイシャツを買ってきて、それをご主人に手渡した。そのワイシャツは値段の割に質がよく、ご主人が喜んでくれると思っていたのに、ワイシャツを受け取っても「ありがとう」としか言わない。帰宅してもそのことに触れない。それどころか、帰宅してワイシャツを洗濯カゴに放り込んだだけで、
「飯、頼むよ」
と言われただけ。そこで奥さんの怒りが爆発する。
「飯、頼むよ」
と言われただけ。そこで奥さんの怒りが爆発する。
「ワイシャツ、どうだったの?」
「うん? 良かったんじゃない?」
「良かったって、何が? 着心地はどうなのよ?!」
「良かったよ」
「どこが? せっかく紳士服店で、あなたが喜ぶと思って買ってきたのに」
「いや、だから良かったって言ってるじゃないか」
「私が尋ねないと何も応えなかった癖に! 訊いたら『良かった』としか言わないなんて! 朝も何も言わないじゃない!」
「朝にシャツ受け取ったときに、ありがとうって言ったじゃないか!」
「ありがとうだけじゃ、何がありがたいのかわからないでしょ!」
まあ、そんなやり取りをして、その後はうやむやになったまんまで終わったが、奥さんにとっては不満が残るやり取りとなった。
でも、息子から同じようなことを逆に言われたときに、母である奥さんは悟る。
「ありがとう」「良かった」だけじゃ、何がありがたくて何が良かったのか分からず、結局フラストレーションを相手に与えるだけだったのではないか、ということに。
定められた言葉を話すだけなら、単に万人に対応できる定型文を掲示されたようなもの。感謝を"伝える"ことにはならないということだ。
「今、ここにいる、自分」に対して向けられたものだとは認識できない。褒めることは大切。感謝の言葉も大切。でも、具体的に、
「今、ここにいる、自分」に対して向けられたものだとは認識できない。褒めることは大切。感謝の言葉も大切。でも、具体的に、
「どこがどうだ」
ということを付け加えないと、それが本当に自分に向けられたものなのかどうか、不安に感じるのが、人間というものなのだろう。
この女性は、それからというもの、息子には、
「ここがこうだよね。ここがすごい」
という言い方に変えるようになったそうだ。それに対して、
「わかってないなぁ」
と言われることもあるのけれども、息子からは前ほど邪険にはされなくなったのだという。
具体的に物事を伝えなければ、感謝の気持ちは相手に伝わらないということなのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿