2013年8月27日火曜日

藤圭子の死と宇多田ヒカルとキャラを作るということ 上

藤圭子が亡くなった。彼女は宇多田ヒカルの母であり、死因は統合失調症を患った末の自殺だった。

宇多田ヒカルの明るく今風、屈託なく誰にでもタメ口で話すという、作りこんだキャラが私は、嫌だった。初登場時の歌唱力には驚いたが、その後テレビに出たのを観たら、日本人と感覚の異なる仕草が気に触り、苛立った。

聞けば父親はプロデューサー、母親は一世を風靡した歌手という芸能一家に生まれ、子供の頃からインターナショナルスクールに通っていたというではないか。このセレブめ。

昭和の芸能には元々興味があり、藤圭子の名前やその数奇な過去は宇多田ヒカル登場以前から知っていた。藤圭子の母は瞽女(ごぜ)と呼ばれる盲目の旅芸人である。


父は浪曲師である。

どちらも藤圭子が活躍していた時代までは階級が一段低く見なされていたというが、まあ、どんなセレブであろうとも2代前にさかのぼればいろいろな過去を持つ者がいるのは当たり前であり、それはもう祖父母の時代だ、今の時代に生きる宇多田にはさほど関係あるまい。

そもそも父方の宇多田家自体は山口県の名家であり、金持ちである。宇多田の祖父は松竹芸能ニューヨーク支社の社員として現地で辣腕をふるっていた。

その父を頼って宇多田照實(てるざね)が渡米し、アメリカのマスコミ関係で働いていた時に藤圭子と出会い、藤が現地で産んだのが宇多田ヒカルである。

2人の結婚は最初は随分と反対されたらしいが、照實氏自身が大変強情な性格のために、結婚を押し切ったという。そして今ではセレブ一家だ。

宇多田ヒカルは、セレブな生活を満喫しながら両親の英才教育で鍛えられ、10代のみずみずしい感覚や20代の弾ける情熱を熟練の技術で表現した華やかな歌を歌ってきた。

そしてこれからも歌い続けていくのだろう。何の苦労も知らずに。

……そう考えていた自分の不明を恥じるばかりである。

★ 幼い頃から、母の病気が進行するのを見ていました

ネットゲリラの上記記事、そして宇多田のコメントを読むと、宇多田の別の姿が浮かんでくる。母の激変する感情に怯えつつ、でも時折見せる笑顔を引き出したいがために、母を喜ばせようと必死になって歌う幼な子の姿だ。

宇多田が苦しみ、悲しんでいたことを、私は画面を通して気づくことができなかった。

もっとも、一番苦しんでいたのは、亡くなった藤圭子自身であったろう。統合失調症の発症の原因の一つに、強いストレスがあると言われている。彼女にとってのストレスとは、彼女がかぶった仮面だったかもしれない。

藤圭子のヒット曲に「圭子の夢は夜ひらく」というものがある。

「15、16、17と 私の人生暗かった」
と歌う彼女の歌は、当時「怨歌(えんか)」などと言われていた。人気者となったが、不幸で売りだした人間は、ファンからいつまでも不幸であることを求められる。

Cocco(コッコ)という歌手がいる。

彼女の歌は独特だ。裏切られた女性の苦しみを歌い、ドロドロとした欲望、死や自殺をモチーフにした歌が多い。不幸な女性を歌うのがうまかった。当然、彼女のファンは、Coccoの歌に共感する人々だ。

ところが、Cocco自身は段々と、そんなファンに苛立つようになる。彼女がある雑誌のインタビューで話していたのを読んだが、ファンは自分に対して、不幸であることを求めている、自分は幸せになりたい、それをファンは裏切りだという、それがイヤだ、という内容のことを語っていた。

藤圭子も、同じようにファンの期待と実像との間の乖離に、悩まされていたであろうことは、想像に難くない。あまりに暗いその歌は、彼女に幸せになることを許すような類のものではないからだ。

彼女はやがて、芸能界から半分引退したような状態となる。ネットゲリラによれば、彼女の精神疾患が第一の原因だったというが、彼女自身が、自分のいる場所に不満を感じていたからではなかったか。

彼女と夫の照實は、その反省の上に立って、娘のキャラクターを作りこんでいったのかもしれない。

(明日に続く)


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