彼女は昔スペインで知り合ったモロッコ系のイスラム教徒とつきあっていた。ところがこのイスラム教徒の束縛は大変なものがあった。女性が男性から話しかけられただけで、
「お前は淫乱だ」
と罵って、暴力をふるう。
友人は男性とつきあうのが初めてだったために、
「男性の嫉妬はそんなもんだ」
と思い込んでいたから、暴力を振るわれても愛情表現と思って看過していたらしい。
ところが段々と男性の暴力がひどくなり、ムチで叩かれることも増えたため、
「このままだと自分は殺されてしまう」
と思い、日本の大学に再入学した際に音信を絶ち、恋愛が自然消滅するのを待った。
その女性は天然なところがあるが、頭がよく素直で優しい女性だったので、
(こんな女性を殴る男性はゆるせんな)
とおもったものだ。
友人によれば、イスラム教徒にとっては女性を殴るのは当たり前で、それは常識レベルであり、誰もおかしいと思わないのだとか。だから彼の家に招かれ、彼を怒らせて家族の前で殴られようと、彼の家族は誰一人それを止めなかったそうだ。
この話を聞いて以来、イスラム教徒には不信感を持つようになった。学生時代の友人の友人であり、たとえ彼女が信頼出来る相手だとしても、たった一人の体験で全てを判断してはならない。「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」などとも言うではないか。それは分かっていても、どうにもイスラム教自体を信頼出来ない。
もっとも、歴史に学べと言われたところで、ここ数十年ほどのイスラム原理主義者達の歴史上の蛮行を知れば、彼らをますます許容できなくなるのであるが……。
日本はまだいい。問題は東南アジアなどの、イスラム教徒と日常的に接している仏教国の人々だ。イスラム教国で相次ぐ内戦を逃れて、ミャンマーなどには多数のイスラム教徒が押し寄せている。そこで地元民との間で緊張が高まり、衝突が繰り返されている。
そこに一石を投じる人物が現れている。
★ 米誌タイムの特集記事「仏教徒テロ」、ミャンマー人が反発
一部の過激思想を持つ仏教僧たちは、イスラム教徒が経営する店のボイコットを呼びかけている。こうした僧侶の1人であるウィラトゥ師は、仏教徒の女性と他宗教信者の男性との結婚を法律で禁じるよう求めている。この記事の書き方も恣意的である。仏教徒のみがイスラム教男性との結婚を法律で禁じるよう求めているようにしか読めないが、違うだろ。
イスラム教では、他宗教との婚姻を認めず、棄教を認めない。だから、イスラム教徒と結婚したければ、イスラム教に改宗するしか方法がない。一方的なのだ。それでいながら、仏教徒がイスラム教徒と結婚できない法律を作ることがなぜ、差別に当たるのだろうか?
貧富の格差が世界中に蔓延し、どうしようもなくなりつつある。共産主義は死んだ。貧乏人を救うための思想として、めぼしいものは、イスラム教くらいしかない。だから世界中にイスラム教が増えつつある昨今、ウィラトゥ師の存在は大きな意味を持つ。
ミャンマーというと、日本人にはあまり馴染みがないだろうが、実はこの国からは多くの仏教指導者たちを排出、世界にミャンマーの思想を伝え続けている。
たとえば、ヴィパッサナーヨガ。
★ 知らないと損する10日間沈黙する瞑想
映画などでも取り上げられた「沈黙瞑想」の主催者であるゴエンカはミャンマー人である。
あるいはガユーナ・セアロという人物をご存知だろうか。日本人の料理人でありながら、ミャンマーで得度を受けて「大僧正」の地位にまで上り詰めた人物である。彼はワールドワイドで現在も活躍中だ(彼のことは私が奈良の天河神社を放浪していた時に知り合った2人の女性から教えてもらった)。
★ ガユーナ・セアロ 個人サイト
ただ、このガユーナ・セアロなる人物には批判も多いようなので、彼についてはいろいろとご自分で調べてみることをお勧めする。
まあ、とにかく。ミャンマーの仏教は、人々の生活に深く根ざしているだけではなく、未だ世界に影響を与えるだけのエネルギーがあるということである。そこから現れた反イスラムの教えは、これから世界へと発信されていくかもしれない。
もっとも、ミャンマーで高まる反感に危機感を持ったイスラム教徒側が譲歩したのか、最近ウィラトゥ師はイスラム教の若きリーダーと対談を行っている。
★ ウィラトゥ師とダイヤモンド・シェウ・キー氏の間で三度目の異教徒間会談
仏教僧のウ・ウィラトゥと「平和と友情のネットワーク」のムスリム側の代表者であるダイヤモンド・ウェウ・キーは、(2013年)9月10日、仏教とイスラム教の信者間の、異教徒同士の親睦や団結、和平について語るための場を設けた。案外、世界に拡大を続けるイスラム原理主義に対して、小乗仏教が、解毒剤と将来なるのかもしれない。
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