ヨーゼフ・アーロイス・シュンペーター(1883年2月8日 - 1950年1月8日)は、オーストリア・ハンガリー帝国(後のチェコ)モラヴィア生まれのオーストリアの経済学者である。企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築した。また、経済成長の創案者でもある。
アルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者。特殊相対性理論及び一般相対性理論、相対性宇宙論、ブラウン運動の起源を説明する揺動散逸定理、光量子仮説による光の粒子と波動の二重性、アインシュタインの固体比熱理論、零点エネルギー、半古典型のシュレディンガー方程式、ボーズ=アインシュタイン凝縮などを提唱した業績により、20世紀最大の物理学者とも、現代物理学の父とも呼ばれる。(どちらもWikipediaより)
さすがのシュンペーターも、世界的に有名な物理科学者であるアインシュタインの前では緊張したらしい。
その時アインシュタインは、シュンペーターに
「経済学の法則で、“絶対的な真実だけれども、直感や常識では嘘だと感じる法則”は何か?」
と尋ねたという。
この質問は無論、アインシュタイン自身の「相対性理論」が下敷きになっている。
「移動している人の時間は、止まっている人の時間より長くなる」
などという原理は、当初、世間の人々からなかなか受け入れられなかった。物理学にもある直感からかけ離れた真実が、経済学にもあるのか、という問いである。
訊かれたシュンペーターは少し考えた末、
「それはリカードの比較優位説だ」
と答えたそうだ。
農業も工業も生産量が多い国Aと、農業も工業も生産量が劣った国Bがあったとする。
AはBよりも優秀だから、すべて国産にすればいい、Bから物を輸入することにメリットはない、と一見思う。しかしそれは誤り。AとBが農業と工業のうち、比較的得意な方に特化した方が、全体の生産量は上がり、それを交換することで双方に利益があるという法則が、比較優位説だ。
これは、数式を使えば、非常に簡単に説明できる明らかな真実である。
この逸話をふと思い出して人間だって同じじゃないか、と考えた。一人一人の人間の才能には、差がある。一人の人間の中の才能にも、偏りがある。
事務的能力も経営能力も共に優れた人物Aと、片付けも人付き合いもどちらも劣った人物Bがいたとする。
Aは自分が何でもできるから、どちらもやろうとする。BはどちらもAに劣っているから、BはAにとっては組むのに値しない人間だと思える。でも、そうではなく、お互いにどちらかの技能に専念して、お互いの成果を交換する方が、社会にとって大きな貢献となるだけではなく、お互いの存在価値を認め合うことにもつながる。
……と思って「比較優位」「能力」「社会的弱者」などでググると、これはすでに多くの社会学者が唱えていることなのだった。
能力の劣る人は働く場所から排除されても当たり前と考える人がいるなら、それはとんでもない誤りである。経済学上最大の発見ともいわれる、比較優位の考え方は、弱者を社会から排除することの非合理性を見事に説明する。
あらゆる面ですぐれた能力を持つ超人だとしても、全ての仕事をその人に任せることは合理的ではない。超人にせよ、弱者にせよ、全ての人がそのもっている能力のうちの相対的にすぐれた部分を最大限に生かして社会参加をし、後からその成果を配分した方が全ての人の利益を増やせるのである。(「社会的弱者に雇用の場を」中島隆信 慶応大学 H22.5.10日経より)
そういえば、同じことをドラッカーも「自らの強みに集中せよ」と語っていた。
誰もが考えること……リカードの比較優位と、能力の選択・集中との連想にいまさら気づいたのもお恥ずかしい話であるし、それ以上に、昔読んだはずのドラッカーが著書に書いていることを、自分の発想のように思ったのも恥ずかしい話ではある。
ではあるが、改めて、自分の才能の中で、優れた部分を伸ばす必要性に気づいた次第。
ではあるが、改めて、自分の才能の中で、優れた部分を伸ばす必要性に気づいた次第。
かのアインシュタインだって、言葉に関する記憶力が悪くて、生涯苦しんだ。彼が販売員になるためにスピーチの練習を重ね、物理学の研究に使っていた時間を、弱点を克服のために使っていたとしたら、社会のためにあまりにもったいなかったが、そのような選択は、あり得た話だ。
自分の強みだけに集中せねば。
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