関西以外の人間からすれば、関西でひとくくりだが、関西では違う。
都市それぞれが古い歴史を持っており、お互いに張り合い、それぞれが誇りを持っているため、なまなかなことでは妥協しない。東京を中心にまとまった関東や、仙台を中心にすることに抵抗感のない東北、福岡中心の九州などに比べると、悪く言えばまとまりがない。
京都は自分たちこそが関西の、いや、日本の中心だと考えているし、大阪は西日本一の都市だと信じているし、兵庫は神戸を抱えているので、国際貿易港として日本の都市の中ではダントツだと思い込んでいる。この三府県に比べると、奈良・滋賀・和歌山はそれほど自己主張は強くないものの、奈良は京都よりも歴史が古いと密かに自負していたり、府県民感情は一筋縄ではいかないものを抱えている。
その上、同じ府県内でも独立心が強く、意地を張り合う。堺市もまた然り。戦国時代に日本最大の貿易港であり、住民自治を成し遂げた都市である、という矜持があるから、余計にプライドが高い。
堺市が自治都市となったきっかけについては、随分前にこのブログでも書いたことがある。
★ 日蓮宗が流行る理由 中
堺には日蓮宗が広く広まっていて、それが堺の住民自治の原動力になった、ということを当時書いた。
その堺市の市長選挙で、大阪維新の会が推薦する西林克敏氏が落選、現職市長が当選を果たすことになった。それも6万票近い差をつけての圧勝である。
今回の争点は、大阪市と合併するかどうか、という点であったが、室町時代から連綿と続く独立心は、それを許さなかった。橋下大阪市長は、堺市民のプライドを汲み取ることができなかったのだろう。
それにしても大阪維新の会、参議院を戦ったことで粗が出て、党勢はだいぶ下火になってしまった。地域政党としてあと数年、地盤を固めて、それから参議院へ打って出ればよかったのに、急ぎすぎてしまったのではないだろうか。
戦というのは膨大な資金や尽力を費やすために、負けた時の痛手が大きい。よって「負けない」ことが何よりも大切だ。闘う者にとっては、勝負に強いという評判さえあれば、たいていの悪評をはねのけることができる。
関西であれだけの知名度と人気を誇る橋下市長なのだから、あと数年、地域改革に地道に取り組めば、盤石の地盤を築くことができたはずだ。地元で強ければ、それだけ発言権も増す。まだ若い。それだけの時間はあったのだ。
熊本で誰にも負けない地盤を築いてから選挙に打って出た、日本新党の細川護煕の例もある。細川氏が東京に進出したのは52歳の時だ。成功している前例があるならば、なぜそれを学ばなかったのだろうか? と不思議に思うが、まあ、それは後知恵だろう。そもそも橋下徹の念頭には、細川護煕の存在はないだろうし。
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