★ ヨーロッパでイスラム教徒が増加、各国では対立も
★ アメリカに増え続けるイスラム教徒。アメリカは「寛大さ」を持ち続けられるのか?
★ 日本ムスリム協会、「日本の若者がイスラムに傾倒」
イスラム教というのは、男尊女卑を教是としている。自由や民主主義といった近代国家の価値観に公然と叛旗を翻す思想だ。9.11後にはその後進性が批判の的となったけれども、その後も勢力拡大は続いている。
昨日、渡邉美樹のラジオ対談の模様を紹介したが、その中で彼が八百万の神は素晴らしい、ってなことを言っていたので、ふと、同じように素晴らしかったローマ神話が支えてきたローマ帝国が、キリスト教によって変質していったことを思い出した。
ローマ帝国では、民主主義と自由をもとに繁栄していたのに、キリスト教が広がり、ローマ帝国を飲み込み、中世という圧政と狂信がはびこる暗黒時代をヨーロッパは送ることになった。
もしもヨーロッパでキリスト教が広まらなければ、今の文明レベルには10世紀には到達していたと言われている。ローマの民主主義、自由、合理的精神などが、キリスト教によって大きく歪められ、文明レベルは大きく後退したという説が、ヨーロッパでは有力になりつつある。新大陸でキリスト教徒らが行った蛮行も、今のムスリムのような連中がおこなったと考えれば理解もしやすい。
最近では、ロシアという遅れた地域で育まれた社会主義が、世界の半分を覆ったこともあった。社会主義という文明の皮をかぶったファシズムは、東側の国の発展レベルを半世紀も遅らせることに成功した。
日本よりも後進国だった韓国発祥の宗教である「統一教会」や「摂理」という宗教団体が、日本で勢力を拡大した事例もある。
その理由として色々挙げられるだろうが、高度な文明では、自己責任の風潮が強くなり、強制が疎まれるようになることも理由の一つなのかもしれないとおもったのは、あるテレビ番組を観た時だ。
その番組では、底辺生活をする人々が、
「風俗とパチンコが唯一の楽しみ」
と告白していた。
例え理由があってカネがなかろうとも、例えば図書館で本を読んで知識を増やすとか、パチンコ以外の役立つ趣味があるだろうに、と思ったものだ。ところが彼らはそのような知的欲求はない。
自由な社会では、豊かになる自由と共に堕落する自由もある。堕落することは気持ちがいい。自由気ままに生きて、段々と将来の選択肢が消えていく閉塞感を感じながらの、この瞬間の快楽。
かつてフロイトは、
「人間には破滅したいという衝動がある」
と説いた。これをギリシャ神話の死神からとって、タナトスとフロイトは呼んだ。人間には、堕落していきたい、このまま死にたい、瞬間の快楽のためならば将来を失ってもいい、という抑えがたい快楽がある。この手の快楽は、味わえば味わうほどさらに強くなる。だから貧しい人間はさらに貧しくなる。
貧しい人間は自分でその運命を選んだのだ。同情するべきではないのかもしれない。しかし放置すれば、格差が広がり、豊かな者と貧しい者との温度差はますます広がる一方となる。
では、下層階級に沈んだ人々を救う方法はないのか?
ある。それが、貧しい地域で生まれた、支え合いの精神、単純な価値観、厳しい規則による自律心を培う思想だ。かつてのキリスト教もそうだし、共産主義もそうだったし、イスラム教もそうなのだろう。
初期のキリスト教の場合、信者は、様々な価値観を認め合う複雑なローマ的価値観を否定した。キリストの教えに基づいた単純な信仰を核として、コミュニティーの中で支えあう、一種の互助会だった。貧しいのに他人を助けることができたのは、禁欲的な規律のために、誰もが貧しい中でも多少の蓄えがあったから。お互いが余ったものを、仲間のために融通し合い、その姿に豊かなものも共感して、キリスト教はローマ帝国へ浸透していった。
「自己責任」
「他人がどう考えようが関係ない」
と語って悦に入り、貧しい人々の苦痛を「努力不足」の一言で肯定する人々がいくら多様な文化の素晴らしさを訴えたところで、貧しい人々の心には決して届くことはこれからもないだろう。そして、イスラム教のような貧乏人のための思想が、人々の間へ侵食していく。
ではどうすればいいのか? その方法については、天草の乱の後、キリスト教という一神教が広まった土地で「破切支丹」という書物を書いて民衆を強化した鈴木正三が参考になると思うが、それを書くと長くなるので、いずれ機会をみつけて書くことにしたい。
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