2013年10月17日木曜日

万事をシェアするのは難しいんじゃないかな

本屋を回っていると、『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』という本を見つけた。

中国が力をつけている、という話はよく聞くが、日本が中国化する、という話はあまり聞かない。

タイトルについつい惹かれて手にとって立ち読みする。

中国と同じようにコネが幅を効かせるような、人治主義の社会に日本がなるかもしれないという、警告書だろうか? と予想しながら読むと、当てが外れた。
やや後悔。

かつて、唐帝国では門閥貴族が幅を利かせて亡国の憂き目にあった。
それから五胡十六国などの小国が乱立する、そんな前代の反省の上に立って、宋は建国された。

皇帝を中心とした一君万民の体制が取られ、貴族ではなく、科挙によって全人民から均等に人材を得る人材登用制度が取られた宋代の体制は、その後の中国の基盤となる。
西洋よりも早く、人民の平等が成し遂げられた。
日本が西洋から学んだと思ったシステムは、すでに中国に存在していた。
だから、日本は後追いしている、という話だ。

……馬鹿馬鹿しい。科挙をもとにしてフランスの任官試験という制度が作られたこと。
そもそも尊皇攘夷という言葉が、宋代の儒者たちによって喧伝されたこと。
そんなことは、大学で東洋史や中国思想の授業を取れば習う話だ。
『中国化する日本』というタイトルをつけてまで2011年に出版する話かよ、と思いながらそっと閉じた。

それが約一ヶ月ほどまえのこと。
そこで著者の與那覇潤(よなはじゅん)のことを知ったのだが、先日、彼がYahoo!に寄稿した記事を読んで、再び、そのときの苦い記憶を思い出した。

★ 共産化するネット社会? 万事をシェアする人類の未来

ネット社会の進展とともに、無料でシェアする一種のコミュニズムが社会に浸透しつつある。
その先にある未来には、一人が自国の一人の政治家に投票する制度ではなくて、票の部分譲渡によって他国の議員を選ぶような投票制度があってもいいんじゃないか、と述べ、彼が模範とする中国宋代に話が飛ぶ。

やや唐突じゃないか、と思ったら、やがて未来のネット社会は、宋代のように、「儒教的な徳(名声)の有無が社会的な地位の高低と連動する、過酷な競争社会」になるかもしれない、という結論=持論へと、彼は持っていくのであった。

なんだかなぁ~。
先日立ち読みした本に続いて、さらにがっかりすることになるとは思わなかった。

票の譲渡だとかファジーな票の分配だとか、制度が複雑になればなるほど、不正が横行するのは目に見えている。
「民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば」
と言ったのはチャーチルだったが、彼が念頭においていたのは一人一票の基本的な民主主義だろう。
恣意的な運用が可能な、票の分割投票などではあるまい。
それこそ民主主義の基本の破壊だ。

不正が行われているかどうかチェックの手段をもたないネット上の人気投票は、擬似民主的ではあるがあくまでお遊びだ。
そこに民主主義の未来はない。
あると考えるのは、任天堂を倒せると思い込んだグリーの社員のような勘違いだと私は思う。

儒教という思想が力を失って久しい。
中国思想という、今の近代思想から断絶した思想を学んだ人からは、このような考え方しか出てこないのかと思って、がっかりした次第。

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