早朝。
目覚めて時計を見ると、午前6時半。
朝飯は7時半にならないと、食べられない。
それまで時間がもったいないので、一風呂浴びることにした。
露天風呂の周りに、雪がうずたかく積もっていた。 どうやら除雪を何時のまにやら、してしまったらしい。
このせいで、温泉の周りに私が顔を押し付けて雪に型取りした箇所が、ほぼ消え去っていた。
お湯に入り、周りを見回す。
白と黒以外の色が見事なほど、無い。
栃木の山岳地帯の例に漏れず、この辺りは地形が急であり、旅館の立つ狭い窪地から、切り立った岩肌が高く上昇し、その斜面から木々が生え、その上に雪が積もっている。
その様は、水墨画の、特に、雪舟の描く絵のようであった。
そんな、絵画の中の世界を堪能しながら、ゆったりと朝風呂を浴びた。
風呂の後、部屋で少し転寝をする。
扉を叩く音に起こされて、起き上がる。
旅館の仲居が、飯を呼ぶために起こしてくれたのだった。
朝食は岩魚の甘露煮をメインに、ご飯・みそ汁と、よくある民宿のスタンダード。
空腹だったので、飯を6杯お代わりする。
飯櫃には3合は入っていたけれども、全て食い尽くした。
さすがに食い過ぎたようで、ゲップが出た。
飯の後、もう一度風呂に入り、それから部屋で一眠りする。
10時になり、荷物をまとめて部屋を出て、会計を済ませた。
「雪が深いので、この長靴をお使いなさい。女夫渕温泉バス停留所の小屋の中に置いてくれれば、いつか宿の者が麓に下りた時に持って帰るから」
その言葉に甘え、長靴をお借りする。
スニーカーに比べると、雪の中では段違いに歩き易い。驚いたものだ。
宿の主人が心配するのも道理で、昨日とは違って、前が見えなくなるほどたくさんの雪が降っていた。
深い雪が道に降り積もり、歩くと足首まで埋まる。
しかし、長靴のために濡れることがなく、埋まった足が抜きやすく、前に進みやすい。
しかも風が無いため、降る雪は歩く邪魔にはならなかった。
ただ、ふと異様に静かな事に気付いた。
雪が、周囲から音を奪っていた。
風が木々の間を通る音、鳥の鳴き声、遠くの小川のせせらぎ……、そんな自然の中にあるべき音が全く聞こえず、無音なのだった。
耳を澄ませる。
そして、雪が降る音を、生まれて初めて聞いた。
粉雪が地面に届いた瞬間、「シュッ」とわずかに小さな音を立てて、融けていく。
その無数の音が周囲に満ちて、文字通り「シンシン」という“雪が降る音”をたてていた。
歩く音にかき消されるのがもったいなくて、その場にたたずみ、動かないまま、しばらく静かな音楽に耳を傾けた。
それから歩く。ひたすら、歩く。
ちょうど1時間45分歩いたところで、大きな車道に出た。どうやら誰でも車を乗り入れられる道路に辿り着いたようだ。そこへたまたま、4輪駆動の車が通りかかった。
50歳ほどの男性が私に
「どこまで行くのか?」と尋ねる。
「女夫渕温泉まで。そこから鬼怒川温泉までバスで向かう」と言うと、
「乗って行きなさい。この雪じゃ、遅くなるから」
と有難い申し出。
茨城からやってきた御夫婦は、年に6回は女夫渕温泉付近を旅するらしい。
普段は空調の整備を自営でやっている、という。
3時間かけて私を鬼怒川温泉駅まで送っていただいた。
旅先のこんな優しい出会いが、嬉しい。
鬼怒川温泉駅に着く。
私はせめてもの心づけにと、「タバコ代にしてください」と言って千円をお渡ししようとしたが、
「旅は道連れ、世は情けだから」と言って、決して受け取っては下さらなかった。
それから、鬼怒川温泉駅から、東武線の鈍行で、浅草駅へ向かった。
昔、私の友人から
「人生の喜びは、結局人との出会いだ。それ以外に価値はないと思う」
と言われ、
「知った風な口をきく野郎だ」
と反発したことを思い出す。
自然に触れたり、読書をしたり、研究したり、人との出会い以外にだって、世の中には喜べることはたくさんあるんじゃないか?
などと抗議したけれども、その時には、人との交流に感動を覚えた。
素敵な人々と出会い、過ごした時間の楽しさは、格別なのである。
しろてさわ
ゆきてたのしき
たびじかな
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