はてな村界隈はいつも賑わっている。
BloggerというGoogleのブログサービスを初めてもう二年になろうとしているけれども、未だ活況を呈そうとしないこのサービスに比べると、楽しそうなはてな民のやりとりがうらやましい。
何度も、はてなブログへ移行しようと考え、「思考のジャイロスコープ」というサイトまで作って少しずつブログの転居を試みたことがある。しかし、Bloggerの魅力(SEO対策が大変すぐれている点とか)が捨てがたいまま、引っ越さずに今に至っている。
二年も経つと愛着も湧く。アカウントの停止などの何かしらの問題がない限り、今のところBloggerからよそに移る予定もなくなった。
……とはいうものの、最近新参者が多くなったはてな界隈で、悪意のあるコメントやブクマとどう向き合うのか、という議論(悪コメ――ワルコメ問題とでも略そうか)で色々な論客が発言しているのを読むと、こういう丁々発止のやりとりに参加できないのがとても悔しくなる(このブログで書いてもはてな民にはほとんど、読まれないしね)。
★ ブログ更新の気力を失ってました
★ 批判コメなんて9割は「読む価値ない」んだからほっときゃいいのに
★ 打たれ弱い奴はブログとか辞めたほうがいいんじゃないですか
どうでもいい話ではある。ブログを書くのが嫌になったのならばやめればいいし、批判コメントがうざいならばコメント欄を閉じればいい。それ以外のTwitterやブログで噂をいくらされようとも、批判は自由だ。こちらの邪魔をしなければそれでいい。
私がこのようなスタンスではあるものの、こういう人生に直結しない問題に様々な人が「ブログとはこうあるべきだ」という「べき論」について熱く語っている様を見るのはとてもおもしろく、興味深い。
こういう熱気は、かつての「純文学論争」を彷彿とさせる。
1961年9月の「朝日新聞」に、平野謙が、雑誌『群像』創刊十五周年に寄せて小文を掲載し、中間小説の優れたもの(松本清張、水上勉らの社会派推理小説など)が台頭し、純文学という概念は歴史的なものに過ぎない、と述べたことから始まったとされているもので、まず伊藤整がこれに反応し、高見順が激しく平野を批判した。当時のことを私は知らない。だが、同時代の大勢の人々を巻き込んだ論争の余波については様々な本の中でよく取り上げられていたから、当時の熱気をなんとなく感じることが出来る。
「純文学は大衆小説よりも格が上だ」
と信じる人々が今よりも多かった時代。孤高を誇る純文学者と、経済的に豊かな大衆作家たちとの間の壁だとか、お互いの批判などに、当時の読書階級は夢中になった。ちょいと文字に目のない読書家ならば、誰もがこの純文学論争について知っていた。
ところが現代では、文学が昔に比べると影響力を持たなくなっている。Wikipediaによれば、つい最近になって大塚英志と笙野頼子との間で論争が起きていたそうだが、寡聞にして知らぬ。知っている人は余程の文学通だけだろう。
当時は、文学がまだあるべき姿を模索していた。文学でしか自己を表現できない人が数多くいた。たとえば自己表現の最も簡単な形は日記のような身辺雑記だが、日記を回し読みしてもらおうとしても誰も読まない。だから、自分の生き方を物語の形にまで昇華させる必要があった。そして文学作品に沢山の人々が一喜一憂した。
現代はその役目を、ブログが引き受けていると言っては言いすぎだろうか。
まだブログは発展途上だ。様々な形式のサービスが有り、様々な利用の仕方がある。悪コメがイヤだという人もいれば、悪コメがあるからこそ楽しいのだという人もいる。商業的な要素を多分に含んだものもあれば、広告すらも一切出さない潔癖なブログもある。その中で、ブロガー達が「あるべきブログ」の姿を模索している様は、在りし日の純文学論争は、このようなものだったのかと想像をかきたてられる。
ブロガーの1人が、この論争を「なんどめだナウシカ」と表現していたけれども、そこに大勢の人が集まり、新しい人々を吸引し続けるかぎり、あるべき理想像を人々が追い求めるのは終わるまい。新しい参加者が増えるたびに、同じ問いが幾度となく、繰り返されるのだろう。
もしも理想像の追求が飽きられてしまうとしたら、その時こそ、ブログサービスに人々が魅了されなくなったときだろう。
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