目の前の人間を、個別具体的に見て、自分の頭で判断しようとすのは、若い人間の特権ですね。
昨日、「年齢を重ねる内に、風俗経験者と結婚を考えられなくなった」という記事を書きました。風俗経験者に限らず、伝統的価値観では、つきあって損をする可能性が高い属性を持った人々が他にも大勢います。たとえば、それは元暴力団関係者であったり、ギャンブル好きな人物であったり、遊び人であったり。
いや、そこまでひどくなくとも、態度や考え方が他人と異なるために、つきあいを避けるべきと言われている人々がいます。
……でも、その中には、実は自分にとって最高の友情を分かち合える人間がいるかもしれません。
若いうちは、目の前の人を属性で判断しません。そのお陰で、泥の中のダイヤモンドのような、最高の友人を得るチャンスを、逃さなくて済むでしょう。
その代わりに、たくさんの失敗をする可能性があります。
ちなみに、最近の若い人々が年々、保守化している、と言われます。保守的な価値観やステレオタイプを若いうちから身につけている人が多いそうです。これは、インターネットで昔の数百倍の情報量に若いうちからさらされるため、若いうちから「大数の法則」が発動して、保守的な価値観を持つにいたるからかもしれませんね。これは余談。
年齢を重ねた人間の特権は、では何でしょうか。
それは、目の前の人間を、経験的・統計的に属性から判断して、つきあうべき人間かどうか振り分けられる能力を獲得すること、でしょうか。この結果、人間つきあいは効率的になります。当然、失敗も少なくなります。
そうした失敗を、しなくて済むという点で、年齢を重ねることはいいことだと思うのです。過去の失敗を思い浮かべると、もどかしい思いでいっぱいになります。
……その代わりに、本当は最高の友人となるべき人物までも、切り捨ててしまう可能性がありますが。この辺り、昨今の、高年齢の男女が、なかなか結婚相手を見つけられない理由にも一脈、通じるところかもしれませんね。
「様々な経験をしたために目が肥えたから」
という言い方をされますが、むしろ、失敗から学んだのかも。たくさんの相手とつきあって、失敗を重ねるうちに、相手をステレオタイプで分ける方が効率的だと、学んでしまったという面も、一理あるかもしれません
様々な出会いを繰り返して、ゾッとした思い出が積み重なったりとか。
それが転じて「大数の法則」が発動。10代や20代では意識していなかった、外れのない条件、例えば女性ならば、相手に「高収入・高学歴・高身長」などの条件にこだわるようになるのかも。
本当は目の前の「低収入・低学歴」の人こそが運命の人なのかもしれないのに。彼と結婚してこそ、幸福な家庭を築ける相手なのかもしれないのに。でも、経験的統計的判断によって切り捨ててしまうと、彼を選びとることはできません。
もったいない話です。
0 件のコメント:
コメントを投稿