★ 大塚英志緊急寄稿「企業に管理される快適なポストモダンのためのエッセイ」
記事は長いが、大変面白く読んだ。
内容は、ニコニコ生動画を主催するドワンゴとKADOKAWA(旧・角川書店)が経営統合したことの「意味」を説明するもの。
KADOKAWAという企業は、作家性に依存せず、一定レベルの物語を大量生産するシステムを作り上げた企業。ドワンゴはアマチュアの作品を吸い上げるシステムを作り上げた企業。
この両者が合併することで、私達はプロとアマの垣根を超え、システム化された「創作→消費→創作→消費」の循環の中に身をおくようになる。それは管理されたユートピアであるが、吐き気のするディストピアでもある、というものだ。
彼の記事を読みながら思い出したのは、彼の著書『キャラクターメーカー』と『ストーリーメーカー』を初めて読んだ時の興奮だった。
キャラクターメーカー 6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」 (星海社新書)
ストーリーメーカー 創作のための物語論 (星海社新書)
大塚によれば、物語を作るのに天賦の才能はいらず、並の能力があり、修練を積めば、一定レベルの物語を作ることができる、という。
数十年前までは、それは才能のある作家によって作り上げられた一点物の芸術作品と考えられてきた。だが、昨今の研究では、神話やベストセラーには共通の「型」があることが分かってきた。
たとえば大塚の本の中で取り上げられていたキャンベルという人によれば、神話に共通の要素として、下記のようなものを挙げている。
冒険への召命この考えかたを元に『スター・ウォーズ』が作られ大ヒットしたため、民俗学の研究成果は世界中で知られるようになり、さらに洗練され、ハリウッドの脚本術として知られるようになった。アメリカで脚本を書く場合、それをまとめた下記二冊が必読書となっている。
召命の辞退
超自然的なるものの援助
最小の境界の越境
鯨の胎内
試練の道
女神との遭遇
誘惑者としての女性
父親との一体化
神格化
終局の恩恵
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大塚が次々に紹介する「物語製造法」は、創作を志していた私にとって、目から鱗が落ちるほど、画期的だった。彼の考え方をもとに、創作したこともある。
ところがそれは頓挫した。なぜならこの「創作活動」とやらが、まったく面白くなかったからだ。面白くないことをするのは仕事で十分。そう思って、彼の一連の著作から離れた。
愚かだったことに、大塚の著書を、私はあくまで個々人のハウツー本としてしか、認識していなかった。ところが「物語の創作のシステム化」は、出版の現場では積極的に取り入れられ、大成功を収めていたという。
KADOKAWAの人々は、この「物語の量産システム」を積極的に取り入れ、ライトノベルの大量生産に役立てていたようだし、ゲーム業界人がゲーム産業黎明期に、良作品をコンスタントに発表できたのも、創作のシステム化が相当程度に進んでいたかららしい。
このことを大塚の記事によって初めて認識した私は、目眩に似たものを感じた。
大量生産品の美しさに感動することは、何も悪いことではない。中国古代の精巧な青銅器は、奴隷による大量生産によって作られたものだ。
しかし、現代の作品には古代のロマンはない。芸術作品だと考えていたものが、大量生産品だとわかった時、どうしても落胆する気持ちを抑えられなかった。
2000年代になってKADOKAWAが発表する数々の作品――『涼宮ハルヒの憂鬱』など――に相当程度入れ込んでいた私にとって、機械的に作られた「物語」に感動してきたという事実は、マネキン人形を人間と勘違いして挨拶し続けていたようで、妙な居心地が悪く、面白くなかったのである。
ただ、同時に、私は大塚の記事によって救いを得た。私が、まがい物を見る目をかつて持ちえていたことに気づいたから。
それについては、長くなったため、日を改めて書こうと思う。
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