2014年5月31日土曜日

やる気を出すためには無理やりやるしかない

自然にやる気が出てくる状態が理想だと、以前は思っていました。

ところが、30代後半のこの歳になって痛感するのは、この手の希望は、単に怠惰の言い訳にしか過ぎないということ。

「七つの大罪」をご存じでしょうか。

「セブン」という映画で、キリスト教の知識の少ない日本人にも知られるようになった概念です。キリスト教では人間を悪へと誘うものとして、
・傲慢
・貪欲
・嫉妬
・憤怒
・貪欲
・色欲
・怠惰
を挙げています。ちなみに、怠惰を司るのはベルフェゴールという悪魔。見た目はこんなのです。
中世ヨーロッパの伝承によれば、人間界を観察して、
「幸福な結婚というものはあり得ない」
という結論を出した悪魔だと言われています。

怠惰な人間は、この悪魔に支配されているということですね。不幸な結婚の大本は怠惰にある、ということなのかも。

……まあ、それは冗談だとしても、怠惰の悪魔から逃れる方法は、誰しも知りたいはずです。

しかし、それは最近の脳の研究によって明らかにされつつあります。研究によりますと、やる気のスイッチは前脳に存在する細胞集団「側坐核(そくざかく)」であり、これを刺激する方法は、
「やり始める」
ことしかないのだそうです。

やる気を出すためにやらねばならないとは、何たる矛盾!

これは無理ゲーのように思えますが、そのハードルを低くするのが、「習慣化」という作業なのだそうです。

本来やるべきことへのやる気が出ない人は、実は、すでにやる気を出してしまっていることが多いのです。つまり、大抵の場合、他の余計なことをしてしまうから、本来やるべきことをやらないのですが、それは、漫画を読んだり、携帯をいじったり、ネットサーフィンしたりといったことをする、「習慣」がすでに出来上がっている、というわけです。

つまり、すでにやる気が出ているのであって、やる気がないわけではない、ということを認識する必要があります。携帯をいじり始めたから、携帯をいじるやる気が出ている、ということ。いったんやる気が出たものを、途中でやめるのは大変困難です。

では、本来やるべきことをどうすれば習慣化出来るのか? それについて確か、ケリー・マクゴニガルだったと思いますが、本来やるべきことを、遊ぶ前に、ほんの少しだけやる癖をつけるという方法を提唱していたように思います。

携帯をいじる前に、1分間運動をするとか、ネットサーフィンの前に、1分間単語の暗記をするなどを心がけるとか、キャンデーを舐める前に、1分間本を読むとか。

たったそれだけで、一度やる気の炎がともり、携帯をいじり始めても、それを途中でやめる自制心が次第に養われるようです。



こういう記憶は覚えていても、使わないと忘れていくものですね!

とりあえず今日から、電子書籍を1分間、書くようにしよう。

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