2014年5月25日日曜日

児童虐待と二宮尊徳(上) ~冷泉氏の記事はピントがずれている~

昨日二宮尊徳について記事を書くに当たって、二宮について検索していたところ、下記記事を見つけました。

★ 道徳教材に「二宮金次郎」、何が問題なのか?

私がコラムニストとして尊敬をしている冷泉彰彦氏が連載している『プリンストン発 日本/アメリカ 新時代』で上掲記事が書かれていたのを、私は見過ごしていたようです。

残念なことに冷泉氏は、道徳教育で二宮を扱うことに否定的です。

残念だと思った理由は2つ。二宮という偉人を冷泉氏が否定的に捉えていたという点。そして、彼が挙げていた理由が、どれも見当違いのものばかりである、という点です。

順を追って説明してみましょう。

冷泉氏は二宮を道徳教育で取り上げるべきではないことの理由を簡単にまとめると、下記のようになるでしょうか。
1.二宮の少年時代のエピソードは児童虐待の話である。
2.二宮に漢学の素養があったから忍耐と努力が出来た。そこを無視されている。
3.忍耐と努力の勧めは、無教養の若い親が増えている日本では悪影響。
4.教育現場では「自助努力」が推奨されるに違いない。そこからは知恵もやる気も生まれない。
5.根底にあるのは「個の尊厳を否定し、将来ある若者を年長者に忍従するように仕向け、アジアの草深い世界に帰って行きたい、そのような思想」だ。
冷泉氏が成長した二宮の業績について、ほとんど述べないまま上記の主張を繰り広げていることには触れますまい。

二宮が今で言うマイクロファイナンスのさきがけでした。その上、封建社会の中で一農民ができうる考えられる限りの手法でお上に反抗し続けた反骨の人です。投票によって選ばれた優秀者を表彰する方式を考案するなど、大変近代的な人物でもあります。

それに一言でも触れるべきでは? 「二宮金次郎自体は大変近代的な人物であり、あの時代においては頑張ったほうだと思います、しかし……」とかね。

一言も触れずに「二宮と教育と近代主義」について語るのは少々、バランスに欠くというもの。まさか冷泉氏、二宮のことをほとんど知らずして、上記の主張をしたのでしょうか? ……まさかね。

それはともかく、上記の5点について、順を追って、批判してみたいと思います。

1.二宮の少年時代のエピソードは児童虐待の話である

彼が叔父の家に身を寄せたのは15の時。すでに元服を済ませた一人前の働き手です。今でも中学を卒業して働く人も少なからずいます。15歳の彼が働くこと自体を、まさか児童虐待とは言いますまい。
ストーリーは単純で、「幼くして両親と死別した金次郎は、おじの家に引き取られた。読書好きの金次郎は夜遅くまで読書をしていたところ、菜種油を無駄遣いするなとおじに怒られた。そこで金次郎は自分で畑を耕して菜種を収穫して読書を続けて立派な人になった」というものです。
と冷泉氏は書き、その上で、
これは虐待被害の話です。(中略)これ自体に違法性を感じます。
これは児童労働の話です。(中略)ところが、この教材では児童労働を肯定的に扱っています。外務省と関係のNGOは厳重に抗議すべきだと思います。
と述べるのですが、まさか二宮が巻きを背負いながら本を読んでいたのは15歳の頃だと、冷泉氏は知らなかったのでしょうか? そんなわけはありませんよね。高名なコラムニストです。Wikipediaで調べればすぐに分かることですから。

それでは、二宮が夜に菜種油を使って本を読むのを禁止されたのが、児童虐待なのでしょうか?

まさか。たとえば今の時代、夜遅くまで子供がインターネットで遊んでいたら親は叱るでしょう。それが「虐待」でしょうか?

「本を読むのは勉強だ。それを止めるのは虐待だ」
と言うのは詭弁です。今の時代、子供がインターネットをいじっていたとして、それがゲームのプログラミングを学んでいたとしても、親にとっては遊びにしか見えないようなものです。当時の貧しい農村で、貴重な菜種油を使って、農民に必要ないと思われた本を読んでいたら、叔父が「遊び」だと考えて叱るのも当然です。

小学校の子供には時代背景が分からないのだから、「当時」の事情など分からない。今の時代では勉強を禁止することが虐待なのだから、それで統一すべきだ、ということでしょうか?

それこそ子供をバカにした話です。時代劇を現代社会と混同して、刃物を振り回す子供はいません。「昔はこうだった」と説明すれば、小学校低学年ならば、ほとんど理解できるものです。

2.二宮に漢学の素養があったから忍耐と努力が出来た。そこを無視されている。

冷泉氏はやや左翼的な思想にシンパシーを持っている方のようです。そういう人物には、中国思想をやけに持ち上げる傾向があります。冷泉氏にもその傾向があるようです。二宮に漢学の素養がある、云々というところが今ひとつわかりにくいのですが、
「小さな島国の人物の偉業を教えるならば、古典漢文でも先に教えればどうだ」
というのが彼の言いたいところなのだと、推察しました。

しかし、漢学のメインは『論語』を中心とした儒学です。これ、もはや近代思想に耐えるものではありませんよ。儒学では「論語・大学・中庸・孟子」という4つの書物(四書)が絶対的な価値を持ち、後世の自由な思想の発展を妨げてきました。

宋明時代には儒学の再検討が行われ、朱子学や陽明学という独自の思想が発達しました。しかしかわいそうなことに、朱子学を創始した朱熹も、陽明学を創始した王守仁も、思想活動のほとんどを「四書とどう整合性をつけるか」に費やされています。

王守仁の思想をまとめた『伝習録』すべてに目を通しましたけれども、自分の考え方が『中庸』からいかに外れていないかを弁明するのにあまりにもエネルギーを使いすぎており、現代からすると滑稽なほどです。

言い過ぎかもしれませんが、現代社会で漢学を学ぶのは、少々無駄のように思えます。

一方、二宮の報徳思想は漢学に比べればはるかに自由です。場所も日本であり、時代も150年ほどしか隔たってはいません。その分、私達の思想により近いものを感じます。思想が『論語』に準拠しなければならない、という儒家のくびきから自由であったために、農業、金融、経営、行政などから学んだ、彼の思想は大変オリジナリティーあふれるものとなりました。

彼が基礎としたのが漢学だとしても、私達はむしろ、彼から学ぶべきではないでしょうか。その手始めに彼の子供時代を教えるのは、小学校低学年生は適しているように思われます。


以上、長くなったので、続きは明日に回します。

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