ふと考えたことがあるんです。宮崎駿は、松田聖子の大ファンなんじゃないのかと。
宮崎氏が松田聖子について触れたのは、とあるインタビューでのこと。今の時代にはイングリッド・バーグマンのような仰ぎみる女優がいなくなったと語り、返す刀で日本の代表的なアイドルを斬りました。
「松田聖子なんてどこがいいんですか、あんなもんは、うすぎたないだけで」
とね。
このセリフは一時期有名となり、彼は松田聖子に関心がないと誰もが考えるようになりました。だからでしょう。最新作の『風立ちぬ』というタイトルは松田聖子のヒット曲とも同じでしたが、堀辰雄の原作と関連づける人はいても、松田聖子と結びつけて論じる人はいませんでした。
しかし、本当でしょうか?
彼ほど本音と発言がかけ離れている人もいません。
たとえば、引退宣言と撤回を繰り返してきたのは有名な話。『天空の城ラピュタ』を作った1986年に、すでに「引退する」と言っていたそうです。彼は本当は、一生アニメを作理続けるつもりなのではないでしょうか。しかしその本音を隠すために、敢えて逆のことを言うのが宮崎流。
彼はとても複雑なのです。アニメが世間から偏見の目で見られていた時代から良質の作品を作り続けた信念の人。へそ曲がりで、世間におもねることを潔しとしません。しかし同時にシャイです。だから、傷つけられることを恐れ、本音を敢えて隠すことが習性となっているのかもしれません。
松田聖子という当代きっての人気歌手のファンだとしても、彼がそうだと告白するはずがありません。いや、むしろ好きだからこそ嫌いだと答えるはず。どうでも良いものに対しては言及しません。ボロクソに言うのは意識しているからだと考えるべきです。
しかも彼には、尊敬する人や好きな人のことを、必ずくさす癖があります。宮崎氏は高畑勲を大変尊敬しているのですが、高畑氏について聞かれると、必ず、
「あの人のココがダメ」
などとダメ出しをする、とのこと。
庵野秀明のことも大変買っていることは、『風立ちぬ』の主人公の声優として庵野氏を起用したことからも明らかなのに、彼についてどれほど酷評してきたことか。
「あいつはあれが限界だ」
とかね。
それもこれも、みんな愛情の裏返し。重度の照れ屋である宮崎氏は、本心を隠すために好きな人のことをボロカスに言う、というツンデレキャラなのです。
……としますと、インタビューで答えた、
「松田聖子なんてどこがいいんですか、あんなもんは、うすぎたないだけで」
という言葉は、彼女に惹かれる気持ちを韜晦するための照れ隠しだと考えるのが自然というもの。
もちろん、本当に嫌いなもののこともボロカスに言うのもこの人の特徴です。では、両者の違いをどう見分けるか? それは簡単。行動を見ればいいのです。
高畑氏や庵野氏に宮崎氏が好意を抱いていることは、彼らと幾度となく共同で作品を製作しているところから明らか。では、松田聖子のファンであることは?
簡単です。彼の作品と松田聖子の間の関連性を探っていけばいいのです。作品には本音がにじみ出ます。
そもそも宮﨑駿が不遇の時期である1981年のヒットナンバー『風立ちぬ』と重なるタイトルを、引退作品のタイトルとしたことが何よりも怪しい。
単なるこじつけ?
よろしい。それではもっと証拠を見せましょう。松田聖子の軌跡と宮崎駿の作品の発表年とを照らし合わせながら、真実を追っていこうではありませんか。
(明日に続きます)
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