それほど期待していなかった。52歳のトム・クルーズが戦闘経験皆無で前線に送られるというストーリーにリアリティーはないだろうと思ったからだ。
それでも私が映画館に足を運んだのは、私が好きな『シュタインズ・ゲート』に言及してる感想ブログが多かったので、興味を惹かれたから。「タイムループものにはずれなし」という格言もある。ちょっくら観てくるか、という軽い気持ちで出かけた。
結論から述べる。観てよかった。誇張抜きで、涙を流して私は泣いた。世間の評価が高いのも当たり前だ。
以下、できるだけネタバレ無しでこの映画を宣伝してみたい。
脚本の力
まず、私が懸念したリアリティーについては、うまく説明していたために損ねることがなかった。「ああ、あの状況ならば、こういうことも起こりうるだろう」
と納得させる入り方。
全般的にハリウッド映画の脚本は、よく練られている。同じくSFを扱う日本のアニメでは、
「あの能力があるのに、どうして今それを使わないんだ?」
というシチュエーションが度々出てくるが、ハリウッド映画では、極力、どうしてそうなったのかを丁寧に説明する傾向が強い。それなりのカネをかけているから、矛盾が取り除かれ、突っ込みどころが少ない。その結果、醒めて我に返ることも少なく、作品に没頭できる。
『オール・ユー・ニード・イズ・キル』もまたしかり。タイムループものを観ているときに感じる、
「あの選択肢をなぜ試さないのか?」
というもどかしい思いを、この映画ではほとんど感じることがない。
仲間が殺されることが分かっているのならば、仲間を巻き込まない方法取ればいいのにとか、逆に、1人では解決できないことが多いならば、仲間を募ればいいのにと思うことが、他作品ではよくある(残念なことに『シュタインズ・ゲート』でも、それを何度か感じた)。主人公がなぜかその方法を試さないから観ていてもどかしくなるのだ。良心的な作品でも、
「これも試したが、うまくいかなかった」
と少し触れる程度だ。
ところが『オール・ユー・ニード・イズ・キル』では、伏線を縦横に巡らせているので、出来ない理由に納得できる。そして、可能性として考えられることを、主人公のウィリアム(=トム・クルーズ)は一つ一つうまくいくまで丁寧に試す。それがテンポよく描かれているから、飽きない。
原作をもとにした漫画も読んだ
映画を観た後、早速本屋で小説をパラパラとめくり、結果、漫画版を買うことにして、原作の小畑健の単行本2冊を買って読んだ。まあ、よかった。映画の余波があったから、ウルっと来た。アマゾンでも売れ行きは好調のようだ。ヤングジャンプで連載されていたようだ。だが、原作はストーリーが単純だ。それに比べて映画版では、たった一つの単線的なストーリーではなく、ある問題が解決したら、さらに別の問題を解決し、それからさらにもう一つの難問も解決するという、二重三重の展開が待っている。
その上、アメリカ人の郷愁を誘うのだろうか、だだっ広い平原をたった2人で車で旅をする、というお決まりのシーンも描かれていて、適度にアメリカナイズされているのが心地よかった。適度なローカライズに、原作を完全に咀嚼した余裕が感じられた。
桜坂洋の原作よりも、ハリウッド映画版の方が、ラストも含めてよかったのではないか。
ちなみに、私が涙を流したのはラストだった。
あのシーンを観た瞬間、彼らのたどった運命、その齟齬が脳裏の蘇った。年をとって涙腺がゆるくなったという理由もあるのかもしれない(映画館では、私の周りは誰も泣いてなかったから)。だが、年齢を重ねたからこそ感じるものもある。主人公のウィリアムがたどった、いくつもの挑戦。それを経た上での、さいごのシーンのあの笑顔なのだろうと思い、私は自分の身に置き換えて涙を流した。
タイムリープは絵空事か?
御存知の通り、空想が現実化することの多いSFの分野の中で、唯一実現せず、まったく進展のない分野が時間旅行だ。タイムリープは絵空事。だから、観ても得るものはあまりない、ただ感動だけしていればいいという考え方を、この映画を観る前には思っていた。
だが、ちと違うのではないかと、思い始めている。
主人公は、同じ1日を何度も繰り返す。漫画版ではループした回数を手の甲にマジックで書くことで、彼らの繰り返した絶望を表現する。その回数100回以上に及ぶ。無限の繰り返しのように思える。
……だが、よく考えれば私たちも、代わり映えのしない繰り返す毎日を送っているではないか。
宮台真司という社会学者は、20世紀末に「世界は滅びない」「素晴らしい未来も、ない」と喝破して、「終わりなき日常を生きろ」と人々に諭した。
毎日、同じことの繰り返し。少しずつ年をとるかも知れないが、一年前の自分と今の自分とでは、さほど肉体的にも変わらない。精神的にも進展しない。永遠とも思える繰り返しの果てに、やがて老い、人は死ぬ。それまではとても、長く思える。
さて、365回同じ毎日を繰り返しているのに、映画の主人公と同じくらいにあなたは成長しているだろうか? そうではないとしたら、その違いは?
映画ではその違いが、丁寧に描かかれる。主人公が短期間で成長するためにやったこと。徹底的なシミレーション、同じ過ちを絶対に繰り返さないと誓う決意、その記憶、理解できる形まで簡素化した計画などなどを観せられるうちに、
「ああ、こうすれば、繰り返される凡庸な日常から、逃れられるのだろう」
ということに考えが至った。
タイムリープものは、マンネリ化した日常の繰り返しを打破して、新しいステージに移るための方法論を描いたものとしてとらえ直せるのかもしれない。だから、人々はまったくの絵空事にも関わらず、この分野に興味や関心を抱くのではないか? それが現実の打破につながると信じて。
トム・クルーズの演技
それにしても、トム・クルーズの演技は抜群に良かった。彼はいろいろと問題がある人間だ。離婚と結婚を繰り返し、カルトと認定されている新興宗教の広告塔として活動している。それでも彼が、いまだに多くの人から愛されているのは、彼の演じる人間が、不屈の魂を持ち、絶えず明るく前向きで、嫌味のない人物であり、それを観て育った人々が、スキャンダルがあろうと何があろうと、彼のことを愛さずにはいられないからだろう。
年を取れば人格が演技にもにじみ出てくる。ところが彼は相変わらず快活で、キャラクターも安定している。映画で演じる人格と、さほど変わらないからではないか、と思う。
とりあえずオススメです。映画情報は下記より。
★ オール・ユー・ニード・イズ・キル
0 件のコメント:
コメントを投稿