その理由は兵站(へいたん=戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また、実施する活動を指す用語)活動の軽視だと常々指摘されてきました。
前線で戦う兵士こそが優れていて、後方支援をする兵士は2級品だと、太平洋戦争前は目されていたのですね。
その意識は、下記のような戯れ歌にも現れています。兵站担当を、輜重・輸卒(しちょうゆそつ)とも呼ぶのですが、
輜重輸卒が兵隊ならばと嘲っていたのです。
蝶々トンボも鳥のうち
焼いた魚が泳ぎだし
絵に描くダルマにゃ手足出て
電信柱に花が咲く
これに比べると、アメリカ軍は伝統的に兵站を重んじます。結果として太平洋戦争においてアメリカ軍に日本軍が敗れてしまいました。
さて、経済学者である池田信夫氏は、こうした日本とアメリカの違いを、ボトムアップの判断によって解決策を見つけるか、トップダウンの計算で解決策を見つけるかの違いだと述べています。
★ 日本軍はなぜ半分も餓死したのか
ボトムアップによって解決策を模索する方法とは、市場で需要と供給が自然と決まっていくように、現場の判断を重視した方法。
それに対してトップダウンによって解決策を求める方法とは、オペレーションズ・リサーチ(OR=作戦研究)という、シミュレーションを繰り返して、最適解を求める手法方法である。市場が神の見えざる手で探り当てた数値と同じものを、コンピューターによって割り出す方法です。
要するに、現代の資本主義は戦争に近づいているのだ。そこで必要なのはコンセンサスではなく命令であり、合理的な(一貫した)目的関数を設定して独裁的に実行するスピードだ。これが戦争の好きなアメリカ人がグローバル資本主義で強い理由である。とのこと。
なるほど、と思わせる面白い指摘ですが、私は別の部分に関心をいだきました。
日本人は計画主義的、アメリカ人は市場主義的だと、一般的に思われています。ところが経営の分野において、日本人の方が、集団の中の同意に基づいた意思決定を重んじている、という点です。たしかに。
「空気を重んじる」
のが日本人の特性だと言われています。この「空気」とは、それぞれの思惑があいぶつかるうちに、自然と熟成された意志のことですよね。計画的に定まったものではなく、お互いの牽制によって意思が定められていく様は、市場経済で価格が定まる過程そのもの。
価格が市場で決まるように、集団の方向性が自然に定まっていくのです。
そうしますと、「空気を読む」をかっこ良くいえば、「意思が市場決定される」こととと言えるのかも。こうしますと、「雰囲気」だとか「空気」だとかいったものに、よりポジティブな意味合いをもたせられそうな気がします。
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