ふと、歩きながら、後ろにいる人間がナイフを持って歩いていたらどうしようと考えた。
他人の脳の中をのぞくことはできないのに、他人の信用するのは一種の賭けと言える。
疑い続けることに必要な精神的コストと、騙されたときの被害とその確率。両者を秤にかけて、後者が下回るならば、信用すればいい。定量的な判断はすべてに優先する。
疑い出したらキリがない。道を歩いていて、横の人が突然ナイフを振り上げる可能性はないとは言えない。しかし、その可能性はゼロに等しい。だから、それについて考える事はムダであり、信じることに賭ける方が、楽に生きることができるだろう。
ただ、問題がある。
騙されたときの被害とその確率を、定量的に測る術がないことだ。無数に存在する可能性の確率を示す客観的なデータなどないのだ。
もしかすると、あることは、騙される可能性がとても高いものなのかもしれない。
逆に、世間で喧伝されているわりには騙される可能性が低いものも、あるだろう。
他人の心はのぞけない。
騙される可能性を測るデータもない。
そんな状態で、よく他人を信頼して生きていけるものだ。手探りで真夜中に森のなかを歩くようなものじゃないか。
こういうことを考えながら歩いていると、段々と後ろが気になってくる。
思い切って振り向くと、後ろを歩いていたはずの男は、いつの間にやらいなくなっていた。
0 件のコメント:
コメントを投稿