「メクラ」
というものがある。
「メアキ」の対語であり、単純に「目がくらんだ人」(物が見えなくなることを"くらむ"と言う)の意味である。
ところが、「メクラ」という言葉を差別的に使う人が昔は多かった。そのため「差別用語」「放送禁止用語」となり、常識的な人で視覚障害者をメクラと呼ぶ人は、今の日本にはいないだろう。
似たような経緯をたどった言葉に、「土人(ドジン)」という言葉がある。土着の人を表す言葉で、近代になって近代化されていない人々を主に呼ぶ言葉となり、日本ではアイヌの人々を主に指していた。彼らの保護を目的とした「北海道旧土人保護法」という法律が、つい最近、1997年まで日本に存在し得たのも、本来その言葉に差別的意味がなかったからである。
ところがこの言葉も、半裸で過ごす人を指すなど、ネガティブに使われることが多かった。今では常識ある人なら、「土人」などという言葉を使うことはないだろう。
私も使わない。
本来的な意味も大切だが、歴史的な使われ方も大切。そうすると、本来的な意味がネガティブなものであろうとも、使い方や意識を変えていくことで、良いイメージへと変わっていくこともあるのではないか、と思う。
そんな言葉の一つが「主人」という言葉ではないか。
御存知の通り、主人という言葉は一家の長を指す言葉であるが、同時に雇い主も主人と呼ぶ。対等であるべき人間関係に主従関係を持ち込む……フェミニストからすれば許せない言葉だという。下記のブログも、そういうフェミニストの感想の一つだろう。
★ 配偶者のことを主人と呼ぶのが生理的に受け付けない問題
個人的なインターネットなどでわざわざ「主人」と書いている人を見ると「そういう人(結婚に主従関係を持ち込んでおり心の底からそれに疑問を感じない人)なんだなあー」と思います。この手の主張は昔からよく見かけるので、今更感もある。生理的に受け付けられない人は受け付けられないだろうし、どうでもいい人にとっては本当にどうでもいい話題だろうと思う。
わたしは結婚生活に主従関係を持ち込んでいないので、夫のことを「主人」とは呼べないし、オフィシャルな場面でも「夫」と呼べば充分だと思っています。というか、誰かが自分の「主人」であるという状況がちょっと理解できない(奴隷制度を採用していないので)。
ただ、私が指摘したいのは、男女同権という常識が浸透している今の日本では、言葉の本来の意味よりも、オフィシャル、あるいはよそゆきの言葉としてこの言葉をとらえている夫婦が圧倒的に多い、という事実だ。すでに歴史的な使われ方として、「主人」は、対等なパートナーを他人に紹介するだけの言葉になりつつあるのではないか、という現実だ。
それは、家庭以外の使われ方をみればわかるだろう。職場で社長のことを従業員が「ご主人さま」と呼ぶ習慣など、どこにもないのがその証拠だ。職階制度においては、社長は明らかに上にある。それなのに、社長のことを「主人」と呼ばない。職場で上位者を「主人」と呼ぶ習慣は、今の日本には残っていないのだ。
「主人」という言葉を夫以外に使うとしたら、喫茶店や居酒屋の店主を呼ぶときくらいだろうか。
しかも、従業員に対して、
「あなたの主人を呼んできて」
とは普通、言わない。せいぜい、
「店の主人を呼んできて」
と言うか、店主自体に、
「ご主人」
と呼びかけるときくらいではないか。
主従関係にある人間の上位者を呼ぶために「主人」という言葉が使われなくなったという事実。それは、本来的な意味が失われつつあることを示している。
「歴史的経緯」などというが、歴史は我々が作っていくものだろう。ネガティブな言葉だから使わないようにしよう、ではなく、ポジティブな意味を付け加えていこう、とどうして考えないのか。しかも、すでに現実が既存の価値観よりも先行しているというのに。
ところが、この手の人間(=id:neji-ko)は、旧来的価値観を持つ自分を恥じることがない。そして他人をバカにする。その上その理由を、
「生理的に受け付けない」
などと抜け抜けと表明する始末だ。
昔観た、アメリカ南部の黒人差別を描いた映画の1シーンが未だに頭に残っている。
公民権運動の後に、それでも差別的言動をやめない夫婦が、周囲から反省を迫られていくのがその骨子だ。周囲の声に抗う夫婦だったが、映画のラストだったかな、結局時代の流れには抗せず、夫は謝罪する。ところが、妻は、
「それでも私は、黒人が生理的に嫌なの! 黒人が近づいただけで身の毛がよだつの! どうしても無理なの!」
と叫ぶのだ。
この女生とid:neji-ko氏のイメージが重なるのである。男女同権を宣言するのが文明人ならが、感情を理性で抑えるのが文明人だろう。男女対等の意識を持つ他人が「主人」という言葉を夫に使っているのならば、それを尊重して敬意を払えよ。
生理的嫌悪感なんぞ、糞食らえだ。
……と、かように思うのである。
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