★ 人は人、自分は自分
なかなか想像力豊かな内容で今は笑えますけど、その時は露骨に無視をされたり、お茶会やランチ会をその噂を広めるために開かれたりとかこの人のキャラクター、もともと嫌いじゃなかったのですが、さらに少し、好きになりました。
「違います!」と言いたいのを我慢して耐えました。
子どもと一緒にいる時に無視をされたり、嫌味を言われたり、、、そんなときも必死で耐えました。
静かに耐えていると助けてくれる人ができ、人付き合いがシンプルになりました。
私、社会人になって猛烈な嫌がらせを受けたことがあるので、その辛さは分かります。
イジメを受ける前は、考えていました。工夫をすれば解決できるとか、自分が悪くなくても敢えて謝ればいいとか、こちらから挨拶を毎日すれば相手の心もほぐれるとか、話しあえばなんとかなるとか。
でも、それは間違っていました。ボス的な人間の気に食わないと、あの手この手で嫌がらせを仕掛けてきます。そして、下手(したて)に出れば相手の嗜虐心に火をつけ、平気な顔をしていると嫌がらせがひどくなり、こちらが怒るとしらばっくれ、話し合いを求めても無視されるのです。
だから、江角さんが、
「違います!」と言いたいのを我慢して耐えました。と書いたのを読んで、納得するものがありました。
子どもと一緒にいる時に無視をされたり、嫌味を言われたり、、、そんなときも必死で耐えました。
静かに耐えていると助けてくれる人ができ、人付き合いがシンプルになりました
鳴くまでまとう ホトトギス
話は戦国時代に飛びます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三傑の特徴を示す戯れ歌に、
- 鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス……………………織田信長
- 鳴かぬなら 鳴かしてみしょう ホトトギス………………豊臣秀吉
- 鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス…………………徳川家康
ところが、秀吉がどれほど才覚の限りを尽くしても、一番のライバルである家康を、ついぞ殺すことはできませんでした。
最終的に幕府をひらき、250年以上の安定政権を築いたのは家康でした。家康が秀吉よりも長生きしたために、時間が味方したのです。
考えれば、家康の前半生は苦悩の連続。人質時代、信長の傀儡として戦い続けた壮年時代。その中を家康は我慢を重ねて、耐え忍び、天下人として一生を終えることが出来ました。
彼の言葉に、
「人の一生は 重荷を負うて、遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」
というものがありますが、その言葉通り、重荷を背負った旅も、いつかは荷を下ろす終わりがあるものです。
高名な人間ですらときに冷や飯を食う
無論、我慢すれば乗り越えられるというものではありません。質の悪い人間は、何年でも嫌がらせを続けます。江角さんがそれを乗り越えられたのは、彼女が女優として認められた確固とした地位を築いていたからでしょう。
家康が信長の高圧的な命令をこなし、秀吉の猛攻を耐えしのげたのも、「犬のように忠実」と言われた三河武士団を彼が抱えていたからでした。
我慢をするためには、それなりの条件があることに、ご注意。耐え忍ぶ根城がないならば、そこで我慢をしていても、獲物となるだけです。そのときは逃げなければ。人間がハイエナの群れの中で生活する必要なんてないのですから。
ただ、実力のある人間がたまたま冷や飯を食らう羽目に陥ることがあります。そのときは感情を爆発させることよりも、じっと我慢を決め込む方が、長い目で見るといい結果をもたらすことが多いものです。
女優として高名な江角さんですら、嫌がらせを受けることがあるということ。
彼女はこの件ならず、いろいろな場面で、耐え忍び、つらい時期を乗り切っていることが多いこと。
そしてそれは多くの場合、成功していること。
彼女の告白は、いろいろな示唆を与えてくれました。
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