映画の日本語訳がとても素晴らしい、という話は、各国の「ありのままで」を聞き比べられるYouTube動画の感想などで、見知っていました。
ただ、それは音の響きに関するものでしたが、内容に関しても、大変考えぬかれたものだという指摘がなされていました。
★ 『ありのままで』の歌詞はトンデモ訳?→日本語版に合わせたプロの仕事!
Twitterに書かれたものをまとめた上記記事よれば、アメリカでは「家族などの身の回りの人との決別と、それにともなう開放」という概念への共感が、多くの人に共有されているのだといいます。
ところが日本では、「家族や身の回りの人との決別」に、共感を覚える人はまだ少ない。そこで、映画のほぼすべての日本語訳から、この「決別」にまつわる概念を極力排除している、という指摘です。
これは面白いと思いました。
日本でも、世代が異なれば、国民の共通概念は変化しています。たとえば貞操観念が、今ではほとんどもてはやされなくなったように。
アメリカでは「家族」というものへの幻想が大変根強い国だというイメージを持っていました。家族の崩壊を扱う作品がここ二十年ほど多くなってきましたが、それでも「家族愛」はアメリカの不変の価値のようになんとなく感じていました。
ところが「決別と開放」という理念に人々がシンパシーを感じるようになってきているのだとしたら、私が「大草原の小さな家」でイメージしたアメリカのあり方と、今はかなり異なっているのでしょう。
アメリカの今後を、私は懸念します。家族から切り離された人々の作る家庭は、機能不全家庭になりがちです。親を否定した人間は、いずれ親になったとき、否定される恐怖に覚えながら子育てをせねばなりません。『アナと雪の女王』で彼らの「決別」に共感した人々のつくり上げる社会は、不安定なものとなることでしょう。アメリカの行く末を案じます。
0 件のコメント:
コメントを投稿