ある企業の破綻
IT関係の高い能力はあるものの精神的な問題を抱えた社長が会社を創業した。ところが仕事の途中で(精神疾患のためか)すべてのデータを故意に破損させたまま失踪。てんやわんやの大騒ぎとなる、という事件が某所で起こった。私はこの社長と、一度会ったことがある。シャイで誠実な人物、という印象だったし、実態もそうなのだろう。いろいろな問題を引き起こしているけれども、他人を脅迫して追い込むタイプではない。彼の記事は含蓄があり、面白い。人間的に好きだった。よって、今回の騒動は大変残念で仕方がない。
元社員が彼のことを追求する記事をネット上にいくつも書いている。しかしそれを読んでも、実のところあまり共感ができない。
「もともと彼の精神疾患を承知して入社したこと。データの全消去、という暴挙を許すまじ、と思う気持ちは分かるが、責任は社長がすべて取ることじゃないか。粛々と会社から離れればいいんじゃないか」
と考えたからだ。
憎むべきは社員に脅迫や強要を行って社員を追い詰める会社だ。いい加減な会社、儲からない会社を私はブラック企業とは呼ばないし、一般的にもそうだろう。
いい加減なところは、それを知った上でつきあえばいい。私は以前、辞めようとした会社の経営者から、これまでの勤め先や家族親戚を調べあげて、電話をかけてやると脅しつけられて辞めるに辞められない状況に陥ったことがあったが、そこの会社の元社員たちはそういう状況にない。嫌なら辞めればいいだけの話じゃないか。
……おお、出た。
元社員はただ、退職すればいいと思うけれども、その問題とは別に、社長自体の問題を考える上で、この発言を看過できなかった。ブラック企業を経験した私のいや~な記憶を、蘇らせてしまった。
ブラック企業は、社員のために福利厚生を充実させることを嫌う。社員のために保険料などを負担しない。そこで「請負(うけおい)」あるいは「委託(いたく)」という雇用形態を採用するところが多い。本来これは、注文者が報酬を支払い、請負人が仕事を完成させる、あるいは受託者が業務を行う、というだけの関係を指す。読者のみなさんも、「うけおい」や「いたく」という言葉には、それだけの意味しか見出さないだろう。
注文者は請負人の保険料などを負担する義務がない代わりに、請負人や受託者は成果さえ出せばいい、という自由なもの。もちろん休日や休暇は自由に取ることが出来る。我々が画家に絵を注文して、画家が期日までに仕上げる。画家が期日までの間に何をしようが注文主の知るところではない。それが本来のあり方だ。
ところが、業務委託という形態を取りながら、9時出社を義務付け仕事が終わるまでは家に帰さず、休日出社までも命令するのが、ブラック企業のやり方。実態は完全な社員扱いで、社員数として我々の数を求人票などで公表していたというのに。
こうした雇用形態は法的には認められない。元社員が訴えれば、実態を元に社員と認定されるために、ほぼ間違いなく勝てるものだという。ところが裁判には時間がかかる。
私はブラック企業を辞めたあと、都内の法テラスの弁護士に相談に行ったところ、
「◯◯さん、悔しい気持ちは分かります。戦えば勝てるでしょう。けれども、これを訴えて勝つまでに時間もお金もかかりますよ。私は弁護士としてうけおわないなぁ。お金にならないですから」
と言われた。
そうだろうな、と思った。実際の話、別のブラック企業を突然解雇された知人が訴えたものの、半年分の基本給約100万円を得るに至ったのを知っている。だが、それまで1年間かかった。
(もっとも、大変だが……訴えていれば良かったと今になって思う。とことん戦った後は、「悔しい」という気持ちが決して湧くことはない。別の件で戦ったことがあり、そのときには、苦労をしたけれども後悔はなかった。戦えば勝てる戦ならば、戦うべきだ、というのが私の結論となっている)
彼はホームページなどで、「ホワイト企業を目指す」 「基本在宅勤務で、出社を義務付けない」と誇っていた。実態もそのとおりだったらしい。
でも、私はその記事を読みながら、「請負契約なんじゃないの? だったら在宅勤務だったり休みを自由に取ったりするのは当たり前の話だろう」と内心嗤っていた。まあ、当事者同士が納得しているのならばいいじゃないか、というスタンスだ。
しかし、社長が仕事をすべてほっぽり出して会社が立ちいかなくなった以上、「実は請負だったんだよね」と開き直る態度は許せない。
この社長も以前、同じような環境にいて、悔しい思い、嫌な思いをしていたじゃないか。「請負」とは名ばかりの偽装請負の現場にいて、なぜ自分がこんな目にあっているのだろう、と苦痛を感じていたはずじゃないか。そこで自分の会社は、少なくとも本来の形での「請負」のありかたを目指していたはずじゃないか。
だが、生来の虚栄心のなせるわざだろうか、「社員に給料を払わなければ」と語って、自分の会社があたかも社員を雇用していたかのように偽っていた。
もっとも、それくらいの虚栄心は許せる範囲だ。なにしろ今年は創業一年目。これから、彼らを社員として雇えるようになればいい。
だが、今回自分の一時的な感情ですべての会社のデータを破損させて失踪するという暴挙によって、「社員」をすべて解雇するはめに陥ったのだ。自分の責任だ。申し訳なかった、と謝る場面じゃないのだろうか。一時的に精神疾患となっても、今は判断できる状態なのだろう? その今になって「彼らとの関係は請負だったんだよ」と開き直るのは、倫理観にもとる。法的にはそうであっても、社員と呼んでいたのだから、最後まで社員として扱うべきだったんじゃなかったのか?
彼は社員を大切にする会社を作ると語っていたが、実態は社員ではなく請負人だった。しかし社長は、請負人を社員と呼び、社員に在宅勤務や自由出勤で勤務させているように装って、一見ホワイト企業的な理想郷を作り上げてみせた。
その理想郷が破綻したとしても、多少の言い訳はしょうがない。 ある程度の弁明ならばしょうがない。夢を見たことは罪じゃない。夢に他人を巻き込んだことも、罪じゃない。夢破れることも、罪じゃない。
その上で、
「実は請負という形態であったけれども、会社が立ちいかなくなった以上、社員として世間に紹介していたので、社員として扱いたい、雇用保険や健康保険にも過去にさかのぼって加入させて、その分の負担は私が何年かかってもお支払いします」
と述べればいい。
それとも、こうした責任を回避したいならば、
「実は請負でした。申し訳ございません。私の不徳とするところです」
と語って、サンドバック状態になることを我慢しなきゃならない。
責任を回避したい、でも世間からは悪く思われたくない、なんて良いとこどりは、土台、都合良すぎる話なのである。
私は、熱く理想を語る者が、理想を実現する立場に至った時に豹変するかどうかの試金石として、乱倫かどうかが一つの鍵となると考えている。家族を大切にするのは通常保守的思考の人物で、革新的な人々は通常、「保守」ではない。
浮気や不倫を行う人間は、例外なく嘘つきだ。
なぜなら独占欲の強い女性たちに、常日頃から、
「お前が一番大切だ」
「お前を一番愛している」
と囁かなければならないからだ。日常的に嘘をつくのに、こうして慣れていく。
また、浮気をする、不倫をする、というのは、かつて愛した女性を裏切って切り捨てる、一種の非情が必要だ。愛する女性と結婚するという理想を成し遂げたあとに、とどのつまり、理想を継続できないのだ。
家庭を大切にしたい、という理想と、たくさんの異性と関係を結びたい、という本能の間で、理想を裏切り本能を選択する人物は、理想の現場で簡単に理想を裏切る。
結婚後も浮気をする人間かどうかは、人生の早い段階でわかる。社会で理想を達成した後に理想を維持できるかどうかは、後にならないとわからない。だから、ある人物が理想を実現した後に理想を裏切るかどうかは、彼が結婚後に浮気を何度も繰り返していないかどうかに注目する、というのも一つの判断基準となる。
アングロ・サクソンの国家に独裁者が少なく、どこもある程度うまく機能しているのは、上層部が適度に潔白で、国民が指導者に一夫一婦制を守らせようとしているからだろうと私はにらんでいる。
だから、独裁者とならないためにも、ブラック企業の経営者とならないためにも、人は、もしも大切な人が現れたら、その人を一生愛し続けなければならない。それが無理なら、一度関係を精算して、相応の賠償をした上で、新しい恋を見つけなければならない。
恋することは一時の感情だが、愛し続けることは努力だ。相手のことを考え、それ以外の人との間で恋愛が生じそうになったら早めに対処する、という行動を地道に行う、という強い意志を持たなくてはならない。
件の社長も乱倫ぶりをブログで告白していたのだから、理想を実現できる人間ではなかったのだろう。歴史の法則は、案外強固なものだ。
実態は請負か委託
ブラック企業の定義についてこれ以上深入りしないけれども、ひっかかったのは、今回の事件の主役のTwitter上のつぶやきだ。◯◯さんはご本人が言っているとおり正社員としては雇っていなくて、下請法の適用を受けるんですよね(源泉徴収しない報酬を支払っていた)。それで、当該月には成果物がなかった。この場合はどうなんだろう。 / “雇用契約書なんて作る義務…” http://t.co/qNZ2QmERpW
……おお、出た。
元社員はただ、退職すればいいと思うけれども、その問題とは別に、社長自体の問題を考える上で、この発言を看過できなかった。ブラック企業を経験した私のいや~な記憶を、蘇らせてしまった。
ブラック企業は、社員のために福利厚生を充実させることを嫌う。社員のために保険料などを負担しない。そこで「請負(うけおい)」あるいは「委託(いたく)」という雇用形態を採用するところが多い。本来これは、注文者が報酬を支払い、請負人が仕事を完成させる、あるいは受託者が業務を行う、というだけの関係を指す。読者のみなさんも、「うけおい」や「いたく」という言葉には、それだけの意味しか見出さないだろう。
注文者は請負人の保険料などを負担する義務がない代わりに、請負人や受託者は成果さえ出せばいい、という自由なもの。もちろん休日や休暇は自由に取ることが出来る。我々が画家に絵を注文して、画家が期日までに仕上げる。画家が期日までの間に何をしようが注文主の知るところではない。それが本来のあり方だ。
ところが、業務委託という形態を取りながら、9時出社を義務付け仕事が終わるまでは家に帰さず、休日出社までも命令するのが、ブラック企業のやり方。実態は完全な社員扱いで、社員数として我々の数を求人票などで公表していたというのに。
こうした雇用形態は法的には認められない。元社員が訴えれば、実態を元に社員と認定されるために、ほぼ間違いなく勝てるものだという。ところが裁判には時間がかかる。
私はブラック企業を辞めたあと、都内の法テラスの弁護士に相談に行ったところ、
「◯◯さん、悔しい気持ちは分かります。戦えば勝てるでしょう。けれども、これを訴えて勝つまでに時間もお金もかかりますよ。私は弁護士としてうけおわないなぁ。お金にならないですから」
と言われた。
そうだろうな、と思った。実際の話、別のブラック企業を突然解雇された知人が訴えたものの、半年分の基本給約100万円を得るに至ったのを知っている。だが、それまで1年間かかった。
(もっとも、大変だが……訴えていれば良かったと今になって思う。とことん戦った後は、「悔しい」という気持ちが決して湧くことはない。別の件で戦ったことがあり、そのときには、苦労をしたけれども後悔はなかった。戦えば勝てる戦ならば、戦うべきだ、というのが私の結論となっている)
夢から醒めた後が大切
さて、件の社長の件。彼はホームページなどで、「ホワイト企業を目指す」 「基本在宅勤務で、出社を義務付けない」と誇っていた。実態もそのとおりだったらしい。
でも、私はその記事を読みながら、「請負契約なんじゃないの? だったら在宅勤務だったり休みを自由に取ったりするのは当たり前の話だろう」と内心嗤っていた。まあ、当事者同士が納得しているのならばいいじゃないか、というスタンスだ。
しかし、社長が仕事をすべてほっぽり出して会社が立ちいかなくなった以上、「実は請負だったんだよね」と開き直る態度は許せない。
この社長も以前、同じような環境にいて、悔しい思い、嫌な思いをしていたじゃないか。「請負」とは名ばかりの偽装請負の現場にいて、なぜ自分がこんな目にあっているのだろう、と苦痛を感じていたはずじゃないか。そこで自分の会社は、少なくとも本来の形での「請負」のありかたを目指していたはずじゃないか。
だが、生来の虚栄心のなせるわざだろうか、「社員に給料を払わなければ」と語って、自分の会社があたかも社員を雇用していたかのように偽っていた。
もっとも、それくらいの虚栄心は許せる範囲だ。なにしろ今年は創業一年目。これから、彼らを社員として雇えるようになればいい。
だが、今回自分の一時的な感情ですべての会社のデータを破損させて失踪するという暴挙によって、「社員」をすべて解雇するはめに陥ったのだ。自分の責任だ。申し訳なかった、と謝る場面じゃないのだろうか。一時的に精神疾患となっても、今は判断できる状態なのだろう? その今になって「彼らとの関係は請負だったんだよ」と開き直るのは、倫理観にもとる。法的にはそうであっても、社員と呼んでいたのだから、最後まで社員として扱うべきだったんじゃなかったのか?
彼は社員を大切にする会社を作ると語っていたが、実態は社員ではなく請負人だった。しかし社長は、請負人を社員と呼び、社員に在宅勤務や自由出勤で勤務させているように装って、一見ホワイト企業的な理想郷を作り上げてみせた。
その理想郷が破綻したとしても、多少の言い訳はしょうがない。 ある程度の弁明ならばしょうがない。夢を見たことは罪じゃない。夢に他人を巻き込んだことも、罪じゃない。夢破れることも、罪じゃない。
その上で、
「実は請負という形態であったけれども、会社が立ちいかなくなった以上、社員として世間に紹介していたので、社員として扱いたい、雇用保険や健康保険にも過去にさかのぼって加入させて、その分の負担は私が何年かかってもお支払いします」
と述べればいい。
それとも、こうした責任を回避したいならば、
「実は請負でした。申し訳ございません。私の不徳とするところです」
と語って、サンドバック状態になることを我慢しなきゃならない。
責任を回避したい、でも世間からは悪く思われたくない、なんて良いとこどりは、土台、都合良すぎる話なのである。
なぜ理想を裏切るのか
理想を語る者が、もっとも大切にしていた理想をないがしろにする、という例は歴史に数多く刻まれた悲劇だが、似たようなことは日常にゴロゴロと転がっている。革命家に憧れる左翼的思考の人物にそれが多い。民主党シンパの元社長の場合もそうだったのだろう。愛人を多く抱えていた毛沢東やスターリンが恐怖政治をおこなったのはよく知られているだろう。私は、熱く理想を語る者が、理想を実現する立場に至った時に豹変するかどうかの試金石として、乱倫かどうかが一つの鍵となると考えている。家族を大切にするのは通常保守的思考の人物で、革新的な人々は通常、「保守」ではない。
浮気や不倫を行う人間は、例外なく嘘つきだ。
なぜなら独占欲の強い女性たちに、常日頃から、
「お前が一番大切だ」
「お前を一番愛している」
と囁かなければならないからだ。日常的に嘘をつくのに、こうして慣れていく。
また、浮気をする、不倫をする、というのは、かつて愛した女性を裏切って切り捨てる、一種の非情が必要だ。愛する女性と結婚するという理想を成し遂げたあとに、とどのつまり、理想を継続できないのだ。
家庭を大切にしたい、という理想と、たくさんの異性と関係を結びたい、という本能の間で、理想を裏切り本能を選択する人物は、理想の現場で簡単に理想を裏切る。
結婚後も浮気をする人間かどうかは、人生の早い段階でわかる。社会で理想を達成した後に理想を維持できるかどうかは、後にならないとわからない。だから、ある人物が理想を実現した後に理想を裏切るかどうかは、彼が結婚後に浮気を何度も繰り返していないかどうかに注目する、というのも一つの判断基準となる。
アングロ・サクソンの国家に独裁者が少なく、どこもある程度うまく機能しているのは、上層部が適度に潔白で、国民が指導者に一夫一婦制を守らせようとしているからだろうと私はにらんでいる。
だから、独裁者とならないためにも、ブラック企業の経営者とならないためにも、人は、もしも大切な人が現れたら、その人を一生愛し続けなければならない。それが無理なら、一度関係を精算して、相応の賠償をした上で、新しい恋を見つけなければならない。
恋することは一時の感情だが、愛し続けることは努力だ。相手のことを考え、それ以外の人との間で恋愛が生じそうになったら早めに対処する、という行動を地道に行う、という強い意志を持たなくてはならない。
件の社長も乱倫ぶりをブログで告白していたのだから、理想を実現できる人間ではなかったのだろう。歴史の法則は、案外強固なものだ。