2015年1月28日水曜日

イスラム国による日本人誘拐事件について

このブログでは一応、日々のニュースについての論評をおこなうと謳っている。

しかし、最近話題のイスラム国による日本人殺害予告事件については、今まで一度も触れてこなかった。

ここまでメディアが連日報道しているから、もちろん私の耳にも届いている。しかし、敢えて記事にしなかったのは、大騒ぎとなっているニュースについての論評は大手メディアにまかせて、自分のところのような個人ブログの一つや二つで扱わなくてもいいだろう、と思ったのと、イスラム国のプロパガンダにみすみす乗るのも癪に障るという、二つの理由からだった。

特に後者の理由が大きい。少し日本のメディアは騒ぎすぎではないだろうか。

我々が大騒ぎしても、彼らが釈放されることはない。我々が大騒ぎしていることは、先方にリアルタイムで伝わっているだろう。そうすると、騒ぐことで彼らに満足感を与えているだろう。

イスラム国という明白なテロ組織を利するような行為はおこなってはならないから、彼らに身代金を払うようなことは言語道断だ。同時に大騒ぎしてパニックになっている様子を相手に見せることもまた、利敵行為の一つだから極力避けるべきかと思う。

それに、今回の騒動で、イスラム国にシンパシーを感じる異常者が増えて、国内にイスラム国の拠点をつくろうという動きが加速するかもしれない。

昨日「人を殺してみたかった」という理由でお婆さんを殺した女子大生が逮捕されたように、犯罪行為や非道徳的な行為が大好きな人間というのはヤンキーに限らず社会の中には必ず発生する。イスラム国の存在や参加方法を彼らに知らしめることは、社会を不安定にする手段を彼らに与えるようなものだろう。 現に欧米諸国では、イスラム国の主張に賛同した大勢の10代の少年少女が刺激を求めてイスラム国へと馳せ参じて問題となっている。

だから騒ぐべきではない、と思うのだが、別の意見もあるのは確かだ。逆に騒がなければ、現在監禁中の後藤氏の利用価値がなくなったとみなしたイスラム国が、今すぐにでも後藤氏を殺すかもしれない。邪魔な人質をいつまでも生かしておくことは移動の妨げにもなり、証拠にもなるのでリスキーだからだ。私達が騒ぐことで、後藤氏の生命を保証するという意味合いがあるかもしれない。

報道しない、騒がないデメリットはまだある。彼らの行為を知らないと、彼らの跳梁跋扈を許して被害を拡大する可能性もある。私は昨年8月頃にこのブログで、彼らの残虐行為を撮影した動画を紹介した。あの場所ではこんなひどいことが行われていると、注意をうながす意味合いだからだが、そのときにはほとんど注目もされなかった。対岸の火事だからだろう。

中東の情勢はそれでも比較的知られているが、中南米も今、ひどい状態になっているのを知らない人が多い。中南米では麻薬が騒動の主原因だ。中東の宗教と中南米の麻薬(どちらも麻薬であると言えないこともないが)、この二つが現在世界で猛威をふるっていることを日本人はあまりに知らない。今回の件をもとに彼らの実態を広くしらしめる必要性は確かにある。


騒ぐメリットとデメリットを秤にかけて、行動することは難しいが、私は現段階では騒ぐ方がデメリットの方が大きいと思うので、これ以上書かない。

嫌がらせや脅迫を行なう組織へ、戦争等の積極的抵抗ができないならば、せめて消極的抵抗をおこなうべきだろう。それには無視をして、平然とした態度を見せ、彼らにおもねらず、あとは専門家にまかせて応援をする、というのが考えうる最善策だと思う。

実際、キルギスで起こった日本人誘拐事件では、その方法でうまくいき、日本人の解放につながっている。

ただ今回の事件では、マスコミは連日大騒ぎをして見せたけれども、ネット上では冷静な言論が飛び交い、これを政府攻撃に利用しようとした人々に対しては大きな反発が巻き起こるなど、日本人は総じてうまく対応しているように思う。

次に私達にできることは、その周辺諸国に早急に安定をもたらしてイスラム国を日干しにするよう地道な取り組むくらいだろうか。

目の前で苦しんでいる人がいるのに、何も出来ないのはつらい。だが、出来ないことに躍起になれば苦しむだけだ。今は我慢に耐えるべきだと、思う。


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